目次
学習はさまざまな二項対立関係を学ぶことで成立するが、逆に、脱構築とは二項対立の矛盾を突き、二項対立では割り切れないものを発見することである。そもそも二項対立関係には暴力的階層関係がひそんでいるが、脱構築では両義的な言葉や主張と行為の矛盾に着目して階層関係を逆転したり無化する。二項対立では見えてこなかった盲点を発見しながら思考し続ける営為が脱構築操作なのである。社会においての諸問題の多くが二項対立から発生しており、たとえば紛争の原点などにも当てはまる。」
以上は、Wikipediaによる「二項対立」の解説であり、「二項対立」問題に対するアプローチには、このように、脱構築的、構造主義的なものがあるが、ここでは、別の観点からこの問題を考えてみたい。
今や、ニュース・情報は瞬時にインターネットを通じて、世界中に拡散し、日本では、言論の自由のもと、人々は、スマートホンを手に,Facebook、LINE、Twitter、などを利用し、お喋りに興じている。マスメディアも、憲法21条の表現の自由、取材源の秘匿、に守られ、暴露記事を連発している。人々が言葉を悪用し、弄んでいるうちに、言葉の信用は地に堕ちてしまっている。ブログやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)内の日記の炎上が頻繁に起き、学校での言葉の暴力によるイジメや、マスメディアによるプライバシーの侵害、記事の捏造、国会における虚偽答弁、省庁に横行する文書改竄ならびに秘匿、等の事故・事件が後を絶たない。同時に、ブラック・ハット・ハッカー(hacker)による、国家・企業機密の漏洩、個人情報の流出も深刻な問題と成っている。科学技術の進歩により齎された、情報通信の発展は、あまりにも急で、人々は、その適切な運用法を身に付ける時間的余裕がなかったようである。一方で、人類は、様々な危機的事態に直面しており、不都合な事実や真実を直視し、理解し、将来への対策を迫られているが、安直な言語ゲームに現を抜かし、人々の認識力は鈍化し、まともな言語表現力も劣化している。「近代言語学の父」といわれる、フェルディナン・ド・ソシュール(1857年11月26日-1913年2月22日)は、シニフィアン( signifiant)を「記号表現」「能記」、シニフィエ(signifie)を「記号内容」「所記」と定義し、その関係に必然性はなく、恣意的なものであると述べている。「数理論理学・分析哲学の祖」と称される、ゴットロープ・フレーゲ(1848年11月8日-1925年7月26日)は、シニフィエにあたる「意味」ないし「概念」は、「指示対象」とは必ずしも一致しないことを指摘し、「指示対象」はレフェラン(referent)と呼ばれ、区別されている。このことを踏まえ、私の「意識論」から見ると、Wikipediaの「二項対立」に関する説明は、あまりにも杜撰なものであると言わざるを得ない。このような、「Wikipedia流、二項対立」的な、単純化した表面的解釈が、物事の真の理解を阻み、軽薄な世の中を醸し出し、文化の停滞を招いているとさえ言ってもよい。例えば、「学習は(言葉による)さまざまな二項対立関係を学ぶことで成立する」とは言えないことは明らかである。「チェス」と「将棋」は、古代インドの戦争ゲーム、チャトランガが起源であると言われ、ボードゲーム、マインドスポーツの一種であるチェスは、その文化的背景から「スポーツ」でも「芸術」でも「科学」でもあるとされ、欧米では、卓越したチェスプレイヤーは人々から尊敬されて来た。「囲碁」は、中国が発祥と考えられ、2000年以上前から東アジアを中心に親しまれている。これ等のゲームは、ゲーム理論では、「二人・零和・有限・確定・完全・情報・ゲーム」と言われ、言葉や二項対立関係による学習の埒外である。人間が2000年以上かけて築いて来た、これ等のゲーム文化は、ここ数年間で、ディープラーニングをマスターしたAIによって、制覇され、終焉の時を迎えた。文化が文明にとって代わられたと言ってもよい。言葉の世界においても、例えば、「善と悪」「意識と無意識」「主観と客観」などは、二項対立関係にあるが、対比したからと言って、それぞれの言葉の、「シニフェ・記号内容・意味・概念」も、「レフェラン・指示対象」についても、解るなどとは到底言えるものではない。最新・最深の倫理観・世界観を踏まえて臨んだとしても、完全な理解に到るかどうかは不明である。「意識と無意識」について言えば、潜在意識が意識化されたものが意識で、いまだ意識化されていないものが無意識であるとも言え、単に、意識の在る、無しの問題ではない。さらに、意識という指示対象も、それを観る意識によって違うことは、「覚書」で指摘しておいた。「主観と客観」について見ると、客観的であるとは本来、実験や観測結果などの、科学的検証に耐えたものに当て嵌まることで、それ以外は、多かれ少なかれ主観的なものであり、進歩は、人々の主観的認識を少しでも客観的認識に近づけることであるとも言える。科学は、母体と成った研究対象である自然の特性(自然は嘘をつかない)から、客観的であるべく宿命づけられている。今日の科学、および科学技術の予想を超える目覚ましい発展は、科学者や技術者が主観やシニィファンに固執せず、謙虚に研究対象である自然・現実と対峙してきた努力の賜物であるが、残念ながら、その応用と活用の仕方を決めるのは、科学者達ではない。科学以外の学問・芸術の対象が、大方、人間的事象であり、評価の基準も曖昧で、主観的要素を完全に脱却できないでいるため、遅々として進歩が見られず、停滞しており、「文明の進歩と文化の衰退」のアンバランスから生じる危機的状況を生み出す要因となっている。人類の現状を、仮に「ゲームの理論」で表せば、「多人数・実数和・有限・不確定・不完全・実体験・ゲーム」であり、人工知能・AIによって、未来に待ちうける問題を解決しようとしても、原理的に不可能である。人類の意識が覚醒し、言葉による空理・空論を脱し、自然環境・現実を直視し、より客観的に物事を理解できるように成り、科学、科学技術を含めた、学問・芸術の成果を、私利・私欲では無く、公共・公益の為に役立てることが出来るように成ることを願わずにはいられない。
過激派仏教徒団体マバタは週刊紙を発行したり、ネットに頻繁に投稿したりして、イスラム教を攻撃してきた。
中心になったのは、ウィラトゥ師という人物で、「野生のゾウとは一緒に住めない」などと、イスラム教徒を非難し続けた。2003年、軍事政権下で暴動を扇動したとして逮捕され、民政移管を進めたテインセイン大統領の下で、2013年、恩赦により釈放された。以来、活動は広がりを見せ、その後、仏教徒の女性が異教徒の男性と結婚するのを規制する法律、改宗を許可制にする法律など、イスラム教徒を狙い撃ちにしたとみられる法律が次々と成立した。
2016年、アウンサンスーチー氏らが政権を奪取し、過激派仏教徒に対する対策も打たれ始めた。マバタは仏教の高僧らでつくる団体に「正式な団体ではない」と宣告され、解散。しかし、直後に名前を変え、「市民」を幹部に置いて同じような団体がつくられた。週刊紙の発行はいまだに続け、「湖で1本のヒヤシンスが瞬く間に他の植物を駆逐して水面を覆う。ベンガリ(ロヒンギャのこと)はこれと同じようなものだ」などと主張している。
多数のイスラム教徒が住むインドネシアでは、過激派仏教徒団体の中心、ウィラトゥ師の写真を掲げた人たちが、イスラム教徒ロヒンギャへの迫害に反対するデモがあった。(2017年9月、 ロイター)
逆に、ミャンマーでは、ロヒンギャを擁護したり、イスラム教徒に理解を示したりした人は徹底的に批判される。先頃ミャンマーを訪れたローマ法王でさえ、今年8月にミャンマー国内でのロヒンギャ迫害を指摘すると、「ロヒンギャ側につき、ミャンマー人に被害を与える人物だ」と糾弾された。
彼らの主張の背後にあるのは、民主化で進められている「言論の自由」である。過激派の週刊紙の記者で僧侶の男性は、「我々は事実に基づいた主張をしている。政府がこれを取り締まれば、言論弾圧だ」と広言している。
イスラム教徒ロヒンギャは、ミャンマー政府の掃討作戦が始まった8月から、60万人以上がバングラデシュに避難した。11月になっても毎日、難民が増えているという。(2017年11月)
ミャンマーでメディアを取り仕切る情報省の幹部は、「言論の自由を逆手にとられ、なかなか身動きがとれない」と言う。
さらに過激な思想を広めているのが、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で、数年前には考えられないくらい携帯電話が普及し、ミャンマー国内では9割の人が携帯を持っている。過激な仏教僧たちも、ツイッターやユーチューブを盛んに使い、自分たちの考えを広めている。
アウンサンスーチー氏も信頼するイスラム教団体のまとめ役で、ミャンマーでイスラム教徒の精神的な支柱にもなっている、アル・ハジー・エールイン氏は、「ミャンマーは仏教徒だけの国ではない」と語っている。(2017年9月)
「今すぐに解決するのは難しい。軍事政権時代、国民の不満をそらすため、イスラム教徒を敵視するように軍政が仕向けた。長い時間かかって仏教徒の中によどみ続けた感情だ、だが、私はアウンサンスーチー氏が本気でこの問題を解決しようとしていると信じている。彼女ができなければ、永遠に解決しないだろう」とも言っている。」
以上は、2017年12月26日付、染田屋竜太、朝日新聞ヤンゴン支局長兼アジア総局員の報告である。
この様な事態を受け、仏教学者達は、平和宗教で、他宗教に寛大であった仏教の異変に驚き、仏教の原点に立ち返って、考えようとする者もいるが、現在の問題の原因を過去に求めても無意味であり、宗教の変質は、何も仏教に限った事では無く、あらゆる宗教に共通して言えることであり、宗教そのものをこそ、問題視すべきである。平和宗教と称される仏教にしても、戦闘的側面を有するのは、今に始まった事ではない。仏教が日本に伝来した、奈良、平安、時代から、寺院は後に僧兵と呼ばれる、武力集団を擁し、信長、秀吉、に非武装化される戦国時代に到るまで、一大武装勢力となっていた。では、如何にして宗教のドグマを乗り越えたらよいのか。室町、戦国、時代にかけて、武装寺院の中心的存在であった、延暦寺、高野山、の受持する密教の世界観を象徴するものとされている、「曼荼羅」を手掛かりに、考えて見たい。
「曼荼羅」には二種類あり、7世紀の中頃、インドで成立したと言われる『大日経』に基づく、胎蔵曼荼羅(大悲胎蔵曼荼羅)と、同じくインドで7世紀末から8世紀始めにかけて成立した、『金剛頂経』(経典群)という密教経典に基づいて描かれている、金剛界曼荼羅とであり、「胎蔵」は客体、「金剛」は主体表現であるとされる。『大日経』は、インド出身の僧である善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう、637年 - 735年)が、中国人の弟子の一行禅師(いちぎょうぜんじ、683年 - 727年)と共に、8世紀前半の725年(開元13年)前後に漢訳(当時の中国語に翻訳)したものである。一方の『金剛頂経』は、『大日経』が訳されたのと同じ頃に、インド出身の僧である金剛智三蔵(671年 - 741年)と、弟子の不空三蔵(705年 -774年)によって漢訳されている。なお、日本密教の伝承によれば、『金剛頂経』は十八会(じゅうはちえ)、つまり、大日如来が18回のさまざまな機会に説いた説法を経典としたものを、それぞれまとめて十八本に集大成した膨大なものであるとするが、金剛智三蔵と不空三蔵が訳したのはそのうちの初会(しょえ)のみであるとされ、この初会の経典を『真実摂経』(しんじつしょうぎょう)とも言う。いずれにしても、『大日経』と『金剛頂経』は同じ大日如来を主題として取り上げながらも系統の違う経典であり、違う時期にインドの別々の地方で別個に成立し、中国へも別々に伝わった。これら2系統の経典群の教えを統合し、両界曼荼羅という形にまとめたのは、空海の師である唐僧の恵果阿闍梨(746年 - 805年)であると推定されている。恵果阿闍梨は、密教の奥義は言葉では伝えることがかなわぬとして、宮廷絵師の李真に命じて両界曼荼羅等々を描かせ、空海に与えた。空海は、唐での短い留学を終えて806年(大同元年)に帰国した際、それらの曼荼羅を持ち帰っている。胎蔵曼荼羅が真理を、実践的な側面、現象世界のものとして捉えるのに対し、金剛界曼荼羅では真理を、論理的な側面、精神世界のものとして捉えている、と考えられている。曼荼羅は、仏教思想が到達した、当時、世界最高の哲学とも称すべき密教を象徴する中心的存在であり、ユングは曼荼羅から「集合無意識から自己実現」へのアイデアを得たと言われている。空海は、二十歳前後に、室戸岬の御厨人窟で修行をしているとき、密教の真髄を体得したものと思われる。恵果から法灯を受け継いだ空海は、20年の留学予定を2年で切り上げ、帰国し、様々な慈善活動の傍ら、日本における密教思想の普及に努めた。先の、東日本大震災の際、人々の間に甦った、弘法大師空海への傾倒は、空海が残した、精神的遺産の大きさを物語るものである。空海の存命期、頂点を極めた密教哲学は、残念ながら、その後の発展を見ずに終わってしまう。客観的世界観においては、自然科学に先を越され、精神的世界においても、科学文明の進歩に見合う進化を遂げることが出来なかった。もっとも、これは、他の宗教哲学にも言えることである。また、自然科学が幾ら発展したと言っても、自然科学者が精神的に進化した訳ではない。要は、空海の時代に、バランスが取れていた、主観と客観がアンバランスになってしまっていることが問題なのである。『胎蔵界』と『金剛界』の整合性に困難が生じてしまったようである。現代の『胎蔵界曼荼羅』を象徴する科学に、精神性が欠け、『金剛界曼荼羅』を象徴する宗教に、客観性が無い、ことが問題であり、科学の客観性に整合する精神世界を創造し、発展させ、科学を正しく活用できるようになるよう、人類は求められている。そのためには、空海の時代にはきちんと認識されていなかった、『胎蔵界』と『金剛界』を結ぶ見えない絆、『意識界』を認識し、理解し、人類が新たな覚醒へとステップ・アップする以外に、方法は無いように思われる。その手始めとして、先ずは「主客転倒」して見る事を、お勧めしたい。人は往々にして、自分が主であり、他人や自分に直接関係しない事は従である、と思いがちであり、世の中の物事や人事を主観的に見ることに慣れてしまっている。「主客は糾える縄の如し」で、人は逆に、世の中から見られ、自身もまた、世の中の構成要素でもあり、客体でもあることに無関心である。現代社会では、個人情報の流出により、個人の思考も嗜好も筒抜けにされており、「主客転倒」が横行しているが、人々は、一向に無頓着である。自身が意識の主体であると同時に、世の中もまた、様々な意識の主体で構成される、「主客入り混じった集合意識」であることを、肝に銘じて置くべきであろう。
権力・権威による犯罪が問題となっているのと同時に、一般大衆による暴動事件も起こっている。「本年、5月1日、フランス全土でメーデーのデモが行われ、複数の情報によると14万人から20万人が参加し、デモは大規模な暴動に発展した。例えば、パリの行進ではマスクをかぶった約1200人の若者がレストランやカフェのショーウィンドーを割り、ファーストフード・チェーン「マクドナルド」を襲撃、車両に放火した。警察は当初反応しなかったが、鎮圧のために催涙ガスを使用したり、放水を行うこととなった。」と『スプートニク日本』は報じている。今回の事件で想起されるのは、1789年10月5日から6日にかけて、ルイ16世をパリに引き戻すために、市民が暴徒化してヴェルサイユへ進撃した出来事(ヴェルサイユ行進)である。同月10日、『フランス革命の考察』の著者、エドマンド・バーク(1729年1月12日‐1797年7月9日)は、息子リチャード宛ての手紙の中でこう記している。「フランスのゆゆしき宣言(人間と市民の権利の宣言のことで、人間の自由と平等、人民主権、言論の自由、三権分立、所有権の神聖など17条からなるフランス革命の基本原則を記したもの)においては、まるで人間社会を構成する要素がみな解決したかのように思われたが、逆に、怪物のような世界が生成されようとしている」。「メーデー」とは本来、五月祭を意味し、この日に夏の訪れを祝う祭がヨーロッパの各地で催されてきた。この祭では労使双方が休戦し、共に祝うのが慣習であったが、これが近代に入り、現在の「メーデー」へと転化し、今日の「労働者の日」メーデーが誕生したといわれ、暴動とは真逆の祭典であった。
以上の様な世界情勢を見ると、権威機関から大衆にいたるまで、精神的貧困とモラル意識の低下が進行しており、人類は恰も、滅亡への坂道を転げ落ちているかのように思われる。ポール・ヴァレリー(1871年10月30日-1945年7月20日)の「精神(esprit)の危機」は、「我々文明なるものは、今や、すべて滅びる運命にあることを知っている」という一文から始まる。書かれたのは1919年、第一次世界大戦が終わった直後である。現代文明に対して彼が抱いた危機意識は、社会全体の組織化・平準化によって個人それぞれの精神的自由が奪われていく処にあると言える。『方法的制覇』では、経済的・軍事的大国として台頭しつつあるドイツにプロトタイプを見出しており、ナチス・ドイツの台頭と、ヒトラーの独裁を予見しているかのようである。また、「結局、近代生活の条件は不可避的に、容赦なく、個人を平準化し、個性を均等化する方向に向かうだろう。平均値が向かうところは、残念ながら、必然的に最低水準の範疇に属するものである。悪貨が良貨を駆逐するのだ。」(「精神」の政策)とも述べ、「要するに、精神が自分を見失い、自らの主要な特性である理知的行動様式や、混沌や力の浪費に対抗するモラルを、政治システムの変動や機能不全により、もはや見出すことができなくなったとき、精神は必然的に、ある一つの頭脳・権威が、可及的速やかに介入することを、本能的に、希求するのである。」(独裁という観念)とも警告している。
ここで、ヴァレリーの警告にも拘わらず、第二次大戦とホロコーストの大惨事を齎したナチス、ヒトラーについて、若干、触れて置きたい。何よりも不思議なのは、何故、ドイツ国民は、ヒトラーの扇動に乗り、ナチス政権に加担したのかということである。勿論、軍部の主張に付和雷同した日本国民に付いても同様の事が言える。何故なら、国民の支持なしに、世界大戦という奇っ怪で、大それたことは、為し得なかったはずだからである。深層意識として、地下のマグマのように蓄積されていた、国民の集合無意識が、社会情勢の悪化により、ヒトラーのナチスによる結晶化作用を経て、顕在化し、巨大な集合意識へと成長したものと思われる。ホロコーストに付いても同様のことが指摘できる。当時、ユダヤ系ディアスポラは、二種類に大別されていた。東欧系ユダヤ人(アシュケナジム;ドイツ語圏や東欧諸国などに定住した人々、およびその子孫、言語はイディッシュ語=ユダヤドイツ語)と、スペイン系ユダヤ人(セファルディム; ユダヤ系のディアスポラのうち、主にスペイン・ポルトガルまたはイタリア、トルコなどの南欧諸国に15世紀前後に定住した人々、およびその子孫、言語はラディーノ語=ユダヤスペイン語)である。両ユダヤ人は、ユダヤ教を信仰しており、ドイツ人は、カトリック教会から宗教改革によって分離したプロテスタント(ルター派)の信者が大勢を占め、両者は共に、旧約聖書(の大部分)を聖典として共有する。なお、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、同じ神を持つ、アブラハムの宗教と言われる。ユダヤ人とドイツ人相互に、宗教的・民族的軋轢が、永年に亙り、深層意識下に蓄積されていたものが、ナチス・ドイツの意図的な誘導により顕在化し、ドイツ人を暴徒へと駆り立てたものと思われる。現在、表立ってナチスを崇拝することは、ドイツでは禁じられており、具体的に何人くらいのネオナチが、ドイツに存在しているのか、は不明であるが、ネオナチのシンボルであるスキンヘッド族は、1万人程度存在している。一説によると、いまだに、ドイツ人の20%が、何等かの形でナチス的な考えに、賛同を示しているとのことである。近年のデータで、どれくらい、このネオナチによる犯罪被害が起きているのかというと、2010年には15,000件の犯罪被害が生じている。
ロシアでは、プーチン氏が7日、モスクワのクレムリンで大統領就任宣誓を行い、通算4期目に入った。3月18日投票の大統領選で、プーチン氏は得票率76.69%と大統領選史上最高の得票率で圧勝した。しかし、就任式直前の5日に野党勢力指導者ナワリヌイ氏の呼び掛けで、ロシア各地で反政権デモが行われ、モスクワでは数千人が参加、若者を中心にプーチン政権に対する不満が蓄積されていることが浮き彫りになった。今後、ヒトラーのナチスのような独裁政権に為らないかどうか心配である。独裁政権と言えば、来たるべき米朝首脳会談に備え、このところ対米批判を控えていた北朝鮮が、「ソウル聯合ニュース」の伝える処では、北朝鮮外務省を通じ、6日、米国が北朝鮮への制裁と人権問題での圧力を加え続けている事に対し、公式に警告したと言う。北朝鮮の外務省報道官はこの日、朝鮮中央通信の記者の質問に答える形で、「北南(南北)首脳会談で採択された板門店宣言で示した我々の非核化意思に対し、(米国は)制裁と圧力の結果であるように世論を操作している」と指摘、その上で、「北朝鮮の完全な核廃棄まで、制裁と圧力を続けるとして、朝鮮半島情勢を再び緊張させようとしている」と非難した。北朝鮮は米朝首脳会談の開催が決まってから、トランプ政権に対する非難を控えていたが、今回は外務省報道官を通じ、公式に非難したことになる。水面下で進んでいた米朝間の調整に問題が生じた、との観測とともに、米朝首脳会談で優位な立場を占めるためのパフォーマンスである、との見方も出ている。日本の拉致問題解決に向け暗雲とならないか、こちらも気がかりである。また、北朝鮮に人権問題での圧力を加えている、当のアメリカ自身、トランプ大統領の就任以来、メキシコからの移民を制限したり、黒人に対する人種差別の増加を放置する等、人権問題で揺れている。
さて、ここまで、暗いニュースばかり列挙し、人間精神の負の側面を取り上げてきたが、現在の状況を齎した元凶を探り、如何に、此処から脱却するかを考えて見たい。
人間には、本来、天使と悪魔が共存しており、「欲望の(資本主義の)時代」と言われる現在、悪魔的部分が表立っては、優位を占めている。天使は博愛と善意・善行の象徴であり、悪魔は、強慾と悪意・悪行の象徴である。人の相互理解は、愛なくしては成り立たず、利己心・利己的欲望は、人を孤立させ、相互理解の障害となる。「覚書」の〔01〕で、「コミュニケーション=意思の疎通をはかるとは、意識を交感することであり、相互理解を阻んでいるのは「意識の壁」であり(「バカの壁」ではない!)、利己心を離れた愛により人は正しく意識を交感し理解しあえる様になる」と指摘して置いた。さらに〔61〕では、「人と人が理解し合う為には、何よりも、お互いに相手を理解しようと思うことが肝心である。相手を理解しようと思う心、これこそは愛である。欲望を離れた愛こそが理解である。人を愛するとは、人を理解することである。また、人と人が理解し合うとは、お互いに意識を交感しあうことである。人は母親の愛を中心とする人の愛の中で生まれ育ち人となる。人が意識界で人としての意識を獲得できるのは、愛の存在があればこそである。キリスト教の神は愛であると言われる。菩薩の愛は、慈悲である。人は生まれながらにして人から愛され、理解されることを必要とし、生涯これを求め続ける。神や仏の前で、人は無条件に愛され、理解されていると感じ、救われるようである。」とも述べている。キリスト教の神の愛は、アガペー(ギリシア語: αγάπη)と謂われ、神の人間に対する「愛」を表す。神は無限の愛(アガペー)に於いて、人間を愛しているのであり、神が人間を愛することで、神は何らかの利益を得る訳ではないので、「無償の愛」とされる。また、それは不変の愛でもあり、旧約聖書には、神の「不朽の愛」として出てくる。新約聖書では、キリストの十字架上での死において顕された愛として知られる。一方、神の愛、即ち「アガペー」が、無限にして無償であることは、この世の「悪」や「悲惨」の存在からして、疑問であるとも考えられる。神が無限・無償に人間を愛しているのなら、何故、この世界には悪や悲惨や不幸や差別や貧困や、様々な矛盾が存在するのか。原始キリスト教の出現と並行して擡頭した、地中海世界でのグノーシス主義は、この世の悪の原因は、この世が元々「悪の神・偽の神」によって創造された為であるとした。グノーシス主義の主張は、その基本的な「悪の実在」に関して明晰であり、非常に説得力がある。この為、敬虔なキリスト教徒の母の元に生まれながらも、思想的に、グノーシス主義の主張に共鳴した、ヒッポの聖アウグスティヌス(354年11月13日-430年8月28日)は、東方グノーシス主義最大の教派であるマニ教の信徒となった。しかし、後にアウグスティヌスはキリスト教に回心(改心)し、キリスト教の立場から、マニ教の主張を論駁する。この世に「悪の現象が実在」する(ように感得される)、ということに対する議論の前提として、アウグスティヌスは先ず、神は世界を善によって創造したが、その世界はまた多元的な世界であることを指摘する。それ故に、世界が具体的な実在として現象する限りにおいて、人知の及ばざる神慮による、善の現れが(見掛け上)濃淡のあるものとなり、ある次元で善が実現するために、別の次元において善が実現していない様に見える事態が生じ、世界全体として、相対的に、善と悪が混在しているように感得されるのであって、「悪そのもの」は本来、実在していないとの説明を行った。これを、キリスト教神学では「(見掛け上の)善の欠如としての悪」という。私としては、グノーシス主義、キリスト教改宗後のアウグスティヌス、双方の主張共に、間違っていると思われる。神の創造に拠るかどうかは別として、人間の意識界には、天使=善を齎す愛も、悪魔=悪の元凶である慾(望)も、両者共に実在し、ときに、『愛の摂理』を逸脱した慾望が、人間に悪事を行わせていると思っている。旧約聖書の出エジプト記によると、神はモーセに、自らを「在りて在るものである」と述べたと言う。この様な、実存主義的な神が、善と悪、愛と慾望に関し、思弁的な扱いをするとは思われない。神の創造した世界を意識界に置き換えると、これ等は共に実在し、相互作用によって、天使的にも、悪魔的にも、成り得るのだと考えたい。つまり、善と悪、愛と慾望は表裏をなして居り、オセロゲームで、先手である黒石が多い局面から、最終的に、後手である白石が勝る結果となることがあるように、善と愛が人々の集合意識において、支配的になることが起こらないとは限らないのである。なお、ギリシア語には「愛」を表現する言葉が四種あり、エロース (ερως、性愛) 、ストルゲー (στοργή、家族愛)、フィリア (φιλια、隣人愛) 、アガペー (αγαπη、自己犠牲的な愛) である。もとより人は、これ等の愛によって、生まれ、育ち、成長し、人と成る。Never Give Up!『奇蹟』は、聖人の博愛と善意・善行に共感する使徒達の集合意識によって出来(しゅったい)するものであり、反対に、『奇難』は、暴君の強欲と悪意・悪行に付和雷同する手先達の集合意識によって齎される。東日本大震災の直後、日本国内に澎湃として湧き起った援け合いの意識は、『奇蹟』の顕現を予感させる出来事であった、とも言えよう。
個人意識(意識)
集団意識(集合意識)
解悟意識(覚醒意識)~宇宙意識
実存意識(自覚意識)~志向意識
表層意識(日常意識)~潜在意識を含む
深層意識(有史意識)~通常は無意識・無自覚意識
原初意識(自然意識)~本能的・生理的・身体意識
以上、現時点での私の『意識論』の概略を、簡潔に纏めて見た。今まで、慣例に従い用いていた用語を、この機会に、明確にするため、大幅に改めてある。
玄奘(602年 – 664年3月7日)は、629年に陸路でインドに向かい、巡礼や仏教研究を行って、645年に経典657部や仏像などを持って帰還、以後、翻訳作業で従来の誤りを正し、法相宗の開祖となった。インドではまた、ナーランダ大僧院で、戒賢に師事して「唯識」を学んだ。「唯識」は、釈迦滅後、千年程経った、4世紀頃、部派仏教から大乗仏教が分かれて後、初期大乗経典の『般若経』の「一切皆空」と『華厳経』十地品の「三界作唯心」の流れを汲んで、中期大乗仏教経典である『解深密経』『大乗阿毘達磨経』として確立した。そこには、瑜伽行(瞑想)を実践するグループの実践を通した長い思索と論究があったと考えられる。論としては弥勒(マイトレーヤ)を発祥として、無著(アサンガ)と世親(ヴァスバンドゥ)の兄弟によって大成された。無著は「摂大乗論」を、世親は「唯識三十頌」「唯識二十論」等を著した。世親のあとには十大弟子が出現したと伝えられる。5世紀はじめごろ建てられたナーランダ(Nālanda)の大僧院において、唯識はさかんに研究された。帰朝後、玄奘が、『唯識三十頌』に対する護法の註釈を中心に据えて、他の学者たちの見解の紹介と批判をまじえて翻訳したのが『成唯識論』である。この書を中心にして玄奘の弟子の慈恩大師基(もしくは窺基)によって法相宗が立てられ、中国において極めて論理学的な唯識の研究が始まった。実質的な開祖は基であるため、法相宗では玄奘を鼻祖と呼び、分けている。その後、玄奘の訳経と知名度等により中国で、法相宗は隆盛を見た。法相宗は道昭・智通・智鳳・玄昉などによって、日本に伝えられ、奈良時代さかんに学ばれ、南都六宗のひとつとなった。その伝統は、主に奈良の興福寺・法隆寺・薬師寺、京都の清水寺に受け継がれ、江戸時代には、優れた学僧が輩出し、倶舎論と共に仏教学の基礎学問として伝えられた。唯識や倶舎論は非常に難解なので「唯識三年倶舎八年」という言葉もある。私が「唯識」に取り組んだのは、二十代始めであったが、仏教哲学の精緻さと、インド思想の奥深さに、衝撃を受けたのを覚えている。意識の解悟体験後、自分なりに意識論を纏めていたものの、「唯識」の呪縛から抜け出すのに、半年ほど費やすことになった。「唯識三年倶舎八年」と言われるのも、もっともであると思われた。また、今から、千五百年も前に、現代の大学の哲学科に引けを取らない、人間学が講じられていたことに、驚きを禁じ得なかった。玄奘が命を賭して学びに行っただけの事はあると、納得すると共に、現代の日本で、簡単に「唯識」に接することが出来る幸いを痛感し、先人への感謝の念を覚える事しきりであった。同時に、仮に、不完全なものではあったが、自分なりの「意識論」を持たずに、「唯識」に臨んだら、どうなったことかと、慄然としたことも確かで、まかり間違えば、興福寺あたりで、「唯識」「倶舎」の学習に明け暮れることになったかも知れない。一方、その後の、「ユング心理学」との出会いは、「唯識」のとき程の、感銘は受けなかった。丁度その頃、「ユング心理学」は、翻訳され、日本に紹介されたばかりであったが、逆に、「ユング心理学」に先立つ事、千数百年前、「唯識」によって、「ユング心理学」が先取りされ、より明確な論を展開していることを知り、驚愕させられたのをおぼえている
次に、これから展開する、「唯識」並びに「ユング心理学」に対する見解は、「意識論」素描を踏まえたものであることを、予め、お断りしておきたい。
意識研究に拘わる文献の解読に際し、心得て置かなければならないことがある。
人間のあらゆる活動が意識の象徴である以上、意識研究の文献もまた、著者・著者達の意識の象徴であり、著者・著者達の意識状況を判読できて、はじめて著作である文献の解読も可能になる。逆に、著作を通して、著者・著者達の時代的、地域的制約を含め、意識状況を理解することが不可欠である。意識研究の場合、意識が意識を研究することになり、この様な配慮が殊更もとめられ、重要となる。次に、どの様な意識を対象として研究しているのか、見分ける必要がある。個人的意識なのか、集団的意識なのか、通時的に、どの様な年代幅の意識を念頭に置いているのか。共時的に、どの範囲の人間集団を対象としており、どの階層構造の意識までを扱っているのか、等である。地球上における、生命の誕生は、40億年程前に遡り、真核生物は20億年前、多細胞生物は10億年前、その後、絶滅・繁栄の紆余曲折を経て、ホモ・サピエンスの出現は、20万年前、文化を持つ現代人が現れたのは、5万年前である。生物学的意識が生まれたのは、いつ頃で、人類の集合意識が、いつ頃発生し、言語・文化と共にどの様に進化し、個人意識が、どの様に芽生え、成長したのか、等は不明である。しかも、文化を持つ以前と以後とでは、自然的進化と文化的進化で、進化の速度も、内容も異なっている。また、居住していた自然環境、文化環境の違いにより、集団意識間の相違も出て来る。
以上の前提を考慮し、「唯識」並びに「ユング心理学」を見ていくことにする。
日本の法相宗で学ばれている「成唯識論」は、玄奘が世親の著作「唯識三十頌」を漢訳したものである。世親は部派仏教の説一切有部から大乗(唯識派)に転向したとも、元々、瑜伽行派の学匠であったとも言われている。何れにせよ、仏教が、小乗・部派仏教から大乗仏教へ向かう、転換期の人物であり、彼がいた時代は、釈迦没後、すでに、千年ほど経過していた。釈迦は、クシャトリアのシャーキャ族の出身であり、生没年は定かではないが、紀元前5世紀から4世紀頃、インドに実在した人物である。釈迦とほぼ同時代に、ジャイナ教の開祖、マハーヴィーラ(ヴァルダマーナ)など、バラモン教の祭儀重視やヴェーダの権威に批判的な自由な思想家が多数輩出しており、当時(紀元前5世紀頃)のインドは、バラモン教からヒンドゥー教への移行期に当たっていた。バラモン教はインダス文明から、ヨーガやグル信仰、聖典としての「ヴェーダ」と、紀元前800年‐500年頃にガンジス川流域で作られたインド古代哲学「ウパニシャッド」、を受け継いだ。ヒンドゥー哲学の基本となる、「業」「因果応報」「霊魂不滅」「輪廻転生」などの諸観念は、ウパニシャッド哲学から来ていると思われ、仏教思想にも、同様に影響を及ぼしている。バラモン教、ヒンドゥー教は、古代ギリシャの多神教やユダヤ教と同じように、始祖を持たず、教義も明確で無い、集団的・民族宗教である。現在の、ユダヤ教に関して、民族的宗教なのか、ユダヤ人が宗教的民族なのか、と言われる事があるが、これは、ヒンドゥー教にも当て嵌まることで、ユダヤ教同様に、他の宗教からの改宗も、寛容に受け入れる。ただし、ヒンドゥー教に入信した場合は、最下層のカーストに属することになる。ユダヤ教から後に、イエスを教祖とするキリスト教、ムハンマドを宗祖とするイスラム教が興り、ヒンドゥー教からブッダを開祖とする仏教、マハーヴィーラを祖師とするジャイナ教が派生した。これ等、二つの史実から、通時的に、宗教的・集合意識から宗教的・個人意識が誕生する過程が読み取れ、興味深い。また、共時的には、教祖の意識の「広がり・質・志向性」が、出自と成る集団の集合意識の「広がり・質・志向性」と相関関係を持っている事も感得される。背景的説明はこの位にして、「唯識論」の中身の検証に移ろう。全体的に、プラトン哲学の本質論に似て、観念主義的である。時代的制約なのか、悠久の大地であるインドの風土的影響なのか、同時代の、衆生の集合意識と自己の意識の観想から、意識を分類し、衆生の済度より自己の得度に重点が置かれているように思われる。恰も、宇宙が空・無から始まり、空・無に終わると言っている様で、進化の最中の宇宙に生きる人々にとっては、何等の救いも齎さない。共時的に見ても、意識・集合意識には個体差・集団差があるはずであり、時代変化と共に、意識・集合意識も変化して行くが、その辺りの視点が欠落しているように見受けられる。「修行の結果悟りを開き仏になると、八つの「識」は「智」に転ずる。これを転識得智(てんじきとくち)という。」と謂われ、識である業の呪縛から、抜け出す方途が無い訳ではないが、その為に、「唯識では成仏に三大阿僧祇劫(さんだいあそうぎこう)と呼ばれる、気が遠くなるほど長い時間の修行が必要だとされる。」のである。これでは、衆生に、度し難い人間と言う残念な生き物は、現世においては、救いは無いのだと言っているに等しい。どうやら「唯識」の「パンドラの箱」には、「希望」さえ残って居ない様である。気付けに、私が敬愛して止まない、ブーレーズ・パスカル(1623年6月19日-1662年8月19日)の言葉を紹介して置こう。「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ねることと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。 空間によって、宇宙は私をつつみ、一つの点のようにのみこむ。考えること(意識)によって、私は宇宙をつつむ。」-パンセ。
唯識派の思想に対抗してかどうかは定かではないが、空海の真言密教では、即身成仏は、可能だと説く。(なお、唯識派の徳一と論争した最澄と違い、空海は『十住心論』で、「唯識」の内容には、敢えて触れていない。)真言密教は、実践的・直感的で、衆生の済度と安心立命を志向する仏教である。同じ密教でありながら、法華経にもとづく、天台宗は、不立文字を標榜する禅宗や、六字名号を唱える浄土真宗を輩出したが、総じて、個人救済を目指す仏教であり、大乗から小乗に逆戻りした感がある。真言密教は、慈善事業を行い、護摩法要を催し、立体曼陀羅を開示する等、衆生に親炙し、直感的意識に働きかけ、宗徒の数を競わず、謂わば、人々の記憶(集合無意識)に残る仏教であることを心掛けた。先の東日本大震災の際、日本国内に澎湃として湧き起った弘法大師・空海への傾倒は、はからずも、この戦略の正しさを立証するものである。真言密教はヒンドゥー教など他宗の神々とも宥和し、差別化せず、融合化し、(例えば、ヴィシュヌ神の妃・ラクシュミーは吉祥天、シヴァ神の化身・マハーカーラは大黒天である。) 衆生に対する「慈悲と済度」の「心と志」(MIND・MORALS・MOTIVATION)を持することで、意識の「質・広がり・志向性」を向上させ、結果的に、解脱・解悟の境地に近づいた。また、これ等を象徴する両界曼荼羅に、日々、対峙することで、実存的・主客合一の秘義を体得し、即身成仏へと向かった。「唯識論」の検証なのか、「真言密教」の解説なのか、分からなくなって来たように思われるかも知れないが、二つを対照することで、より両者の本質が見えて来ることを期待し、試みた次第である。
次に、ユング心理学の意識論に目を転じよう。
第一次世界大戦 (1914年 7月28日-1918年11月11日)
世界恐慌 (1929年10月24日-1941年頃まで)
第二次世界大戦 (1939年 9月 1日-1945年 9月 2日)
カール・ユング (1875年 7月26日-1961年 6月 6日)
先ず、上記の年表を見て戴きたい。ユングは四十歳から七十歳に懸けて、後半生を、世界恐慌を挟み、二つの世界大戦の中で、過ごした事になる。スイスのプロテスタントの牧師の家(ドイツ系)に生まれた、ユングにとって、人類史上、最も悲惨な時期に、最も凄惨な地域の近くで、学究生活を送ったことで、様々な障害に直面した事は、想像に難くない。資料には、以下の様な記述もある。「ナチスが政権を取った1933年、ドイツ精神療法学会が改編されることになりヒトラーに反対したユダヤ人のエルンスト・クレッチマーがその会長を辞任。新たに設立された国際精神療法学会の会長にユングが就任した。これをもって、ユングはナチスに加担してクレッチマーを追い落としたと一部で言われた。後にユングは精神療法という学問分野を守りたかったので非ユダヤ人である自分が会長職を引き受けたと述べている。彼は実際、ナチスからの影響を逃れるために国際精神療法学会の本部をスイスのチューリッヒに移し、ドイツ国内で身分を剥奪されたユダヤ人医師を国際学会で受け入れ、学会誌にユダヤ人学者の論文が掲載されるように図ってもいる。けれども、ナチスが国際精神療法学会に干渉して、ナチスへの忠誠を誓うマニフェストが学会誌に掲載されたために、会長のユングは激しく非難された。ユングはこの非難に対しては即座に反論したものの、今日に至るまでユングとナチズムとを関係づけ、非難する意見は存在する。しかし、ユングはユダヤ系の師フロイトにも支援の意図について打診しており、長年にわたってユングの秘書を務めたユダヤ人アニエラ・ヤッフェによれば、『ナチスへの対応には甘いところがあった』が、ユングはナチスの反ユダヤ人政策には明確に反対しており、ユダヤ人のドイツ脱出支援活動にも関与していたようである。また、ユングが戦前において、人々の群衆心理への傾倒、及びそれに伴う暴力性の発現に対して警鐘を鳴らしていた記録や、ヒトラーに関連した事象がもたらす危険性について警告していた記録も残っている。」
ユングにとって、幸いだったのは、人間形成にとって重要な十代、二十代、三十代を、比較的、平和な時代に過ごせたことである。とはいっても、忍びよる大戦の気配は、すでに、ユングにも、時代精神にも悪影響を及ぼしていたものと思われる。事実、この頃、ドイツでは、「精神分裂病」「統合失調症」の患者が増えており、在野の心理療法家を始め、当時、出来たばかりの精神医学会では、治療の決め手が見つからず困っていた。ユングの精神医学、心理療法の師であった、オイゲン・ブロイラー(1857年4月30日-1939年7月15日)、ピエール・ジャネ(1859年5月30日-1947年2月24日)、ジークムント・フロイト(1856年5月6日-1939年9月23日)等は、催眠療法、自由連想法、などにより、夢や「無意識」の分析を通じて、症状の解明と治療を試みたが、目立った成果は得られなかった。フロイトは自身の療法を「精神分析」と命名し、症状の原因は、抑圧された、性的「リピドー」にあるとし、個人的「無意識」の存在を指摘した。ジャネは催眠療法を行い、フロイトより先に、「無意識」を発見していたとも言われている。(在野の心理療法家の間でも、無意識の存在は知られていた様である。)ユングは、フロイトとの共同研究を通じて、少なからぬ影響を受けたが、フロイトの個人的無意識に対する、認識の狭さや、性的抑圧に偏った考えに疑問を呈し、フロイトと袂を分かち、独自の言語連想実験による研究と治療を行った。ユングは、個々の患者の無意識を分析する過程で、共通する無意識の象徴が見られることに気付き、個人的無意識の出自である、集合的無意識の存在を突き止めた。意識領域の階層構造が、フロイトの精神分析による、意識、前意識、無意識、から、ユングの分析心理学によって、意識、前意識、個人的無意識、集合的無意識へと、大幅に拡張され、無意識に見出される観念と感情の複合体をコンプレックスと名づけた。さらに、ユングは、「個人のコンプレックスが単一ではなく多数存在し、コンプレックス相互の関係を研究する過程で、更に深層に、自我のありようとは独立した性格を持つ、いわば「普遍的コンプレックス」とも呼べる作用体を発見した。それは、男性であれば、自我を魅惑してやまない「理想の女性」の原像であり、また困難に出逢ったとき、智慧を開示してくれる「賢者」の原像でもあった。ユングは、このような「原像」が、個人の夢や空想のなかで、イメージとして出現することを見出したが、個人の無意識に存在するこのような原像が、また、民族の神話や、人類の諸神話にも共通して現れることを見出した。これらの像は、フロイトの学説にある「抑圧」等が起こる無意識層よりも更に深い位置にあり、民族や人類に共通する原像であった。ユングは、このような像は、個人の体験に基づいて構成されたのではなく、人類の極めて長い時間の経験の蓄積の結果、構成されたもので、遺伝的に心に継承されると考え、これらの像を生み出す性向を、『古態型(Arche-Typ,元型)』と名づけた。神話的元型が存在すると考えられる無意識の層はきわめて深く、また民族等に共通するため、このような層を、ユングは「集合的無意識(Collective Unconscious)」と定義した。」
ユングは、個人的無意識は、集合的無意識から生まれ、共有する、集合的無意識を媒介し、個人的意識・無意識同士による、「外的世界の物質の運動を主として規定する「因果性」と共に、因果性とは独立して、『意味』や『イメージ』の『類似性・類比性』によって、外的世界の事物や事象、個人の精神内部の事象等が互いに同時的な相関性を持つ『共時性(シンクロニシティ)』が存在する。」とも述べている。また、「フロイトの言う『無意識』は個人の意識に抑圧された内容の『ごみ捨て場』のようなものであるが、自分の言う無意識とは『人類の歴史が眠る宝庫』のようなものである。」と言っている。フロイト、ブロイラー、ジャネ、ユングが研究と治療、活動をしていた時期は、精神医学が漸くアカデミズムに認知され始めた時期で、世間で、当時、流行していた、オカルティズム的なものと誤解される危険性があった。特にユングの場合、「学位論文で、『いわゆるオカルト的現象の心理と病理』において、従妹ヘレーネ・プライスヴェルクを『霊媒』として開かれた『交霊会』を扱ったこと(ただしこの論文では神秘的要因ではなく精神の病理的状態に帰されている)、また錬金術や占星術、中国の易などに深くコミットしたことにより、オカルト主義的な傾向を見て取られ、また新異教主義的な人々からその預言者とみなされる傾向がある。これにはおそらく母方のプライスヴェルク家が霊能者の家系として著名だった出自も影響していると思われる。また『集合的無意識』や『元型』などの一般の生物学の知見とは相容れない概念を提起することによって、20世紀の科学から離脱して19世紀の自然哲学に逆戻りしてしまったという批判があり、フロイトもユングとまだ訣別する前に、『オカルティズム』を拒絶するよう強く求めていた。」
「19世紀末から20世紀初頭の状況は、一方では精神医学を極めて機能主義的に捉えることのみが科学的であり「心の治癒」といったものを語ることは出来ないという流れがあった一方で、アカデミズム以外でオカルティズムの大流行があったのみならず、ウィリアム・ジェームズのような学者も心霊主義の実験に乗り出すなど、心の問題に関するアプローチは現在以上に定まらないところもあった。こうした問題に関してユングに批判的であったフロイトも、そもそも性理論を打ち立てるのはオカルトの「黒い奔流」に対する「堅固な城塞」を築かねばならないからだと、いう動機を口にしており、こうした問題に必ずしも安定した姿勢で臨んでばかりいた訳ではなかった。またユング自身はきわめて厳格に学問的な方法論を意識して研究を進めていたという主張もあり、こうした点について決定的な評価を下すことは、まだ難しいといえる。しかしながら、オカルトはユングの研究対象であったのか、それともユングの心理学そのものがオカルトであったのか、ということに関しては、しばしば誤解を生んでおり、峻別しなければならない問題であろう。」
ユングは、同時代の人間の深層心理・集合無意識にオカルト的意識象徴である元型も見出していたようである。何れにしても、「コンプレックス(感情複合)の現象を研究したユングは、言語連想実験等を通じて深層心理の解明を志向し、当時、精神分析を提唱していたウィーンのジークムント・フロイトから受けた多大な影響を脱し、フロイトと訣別し、「リビドー」の概念を、従来より、はるかに幅の広い意味で定義し直し、「集合的無意識」の存在を提唱し、元型の概念において、神話学、民俗学、文化人類学等の研究に通底する深層心理理論を構成した。」また実際に、「1948年に共同研究者や後継者たちとともに、スイス・チューリッヒにユング研究所を設立し、ユング派臨床心理学の基礎と伝統を確立した。同時に、1933年からは、アスコナでのエラノス会議において、主導的役割を演じることで、深層心理学・神話学・宗教学・哲学など多様な分野の専門家・思想家の学際的交流と研究の場を拓いた。開催をしたオルガ・フレーベ・カプタインは、ユングに強く協力を求め、ユングが参加できない場合は廃止も辞さない構えであった。これには1951年まで出席し、鈴木大拙、ミルチャ・エリアーデ、ハーバート・リードらと親交を結んでいる。」さらに、ノーベル賞受賞者である、物理学者のウォルフガング・パウリ、作家のヘルマン・ヘッセは、ユングの患者であった。
この辺で、ユングの「分析心理学」を総括し、ユング論を終わりにしたい。ユングの場合も、時代的制約、文化的偏向、アカデミズム的現実認識の欠如、等が残念ながら観取される。先ず、彼自身の研究、「意識論」に付いて言えば、ドイツ観念論、及び、科学主義の影響からか、意識を機能的に考える一方、意識の持つ、「質・広がり・志向性」といった、特性や実態を認識しておらず、従って、共時的、個人間の意識・集団間の集合無意識の違いに、無頓着である。彼が、歴史の宝庫であると称する、集合意識・深層意識も、有史以来、幾重にも無意識の層が積み重なって居り、そこには、ハルマゲドン的なもの、パノプティコン的なもの、ホロコースト的なもの、ナチズム的なもの、等、悪魔的なものも含まれていることを見落としている様である。さらに、通時的にも、人類の文化的進化と共に、集合意識も変化しており、進化のみならず、退化することもあり得ることも認識していなかった様である。同時代に生きた、マックス・ウエーバー(ドイツの社会学者、1864年4月21日-1920年6月14日)は、エルンスト・トレルチ(ドイツのプロテスタント神学者)と共に、「『The Social Teaching of the Christian Churches』 (ドイツ語版1912年、英語翻訳版1931年)において、「チャーチ=セクト類型」(church-sect typology)を提示し、カルト(ドイツ語でセクト:sekte)を次のように提唱した。「カルト」とは宗教団体の初期形態を指すとし、この段階では周辺からの迫害に遭うが、市民権を得るにしたがってその迫害は減り、次第に正式な社会集団として認められるようになる。よって、まだ市民権を得ていない宗教団体を指す語であるとした。」また、フランスの社会学者、エミール・デユルケム(1858年4月15日-1917年11月15日 )は、「社会学を「道徳科学」と位置づけ、諸個人の統合を促す社会的要因としての道徳(規範)の役割を解明することであると考えた。そしてその後、『社会学的方法の規準』において、社会学の分析対象は「社会的事実」であることを明示し、同時代の心理学的社会学の立場をとっていたガブリエル・タルドを強く批判した。デュルケームが社会学独自の対象とした「社会的事実」とは、個人の外にあって個人の行動や考え方を拘束する、集団あるいは全体社会に共有された行動・思考の様式のことであり、「集合表象」(直訳だと集合意識)とも呼ばれている。つまり人間の行動や思考は、個人を超越した集団や社会のしきたり、慣習などによって支配されるということである(たとえば、初対面の人に挨拶をすること、嘘をつくのは悪いことだと考えることなどは、社会における一般的な行動・思考のパターンとして個人の意識の中に定着したものである)。彼は、個人の意識が社会を動かしているのではなく、個人の意識を源としながら、それとはまったく独立した社会の意識が諸個人を束縛し続けているのだと主張し、個人の意識を扱う個人心理学的な視点から社会現象を分析することはできないとして、タルドの個人心理学的社会学の立場を批判した。」マックス・ウエーバーは、カルトが宗教の起源であることを理解しつつ、その危険性をも警告しており、エミール・デュルケームは、ユングより早く、集合意識の重要性を指摘している。ユングが、ウエーバーやデュルケームの研究に注意を向けていたら、と思わずにはいられない。更に、歴史に、タラ・レバは禁物であるが、エラノス会議に参加していた、仏教学者の鈴木大拙がユングに、「唯識論」を、きちんと紹介していたら、晩年に到るまで研究を続けていたユングの研究内容も、また違ったものになっていたかも知れない。ユングにとって、不運であったのは、数多く居た弟子達の誰一人として、ユングの研究の重要性を正しく認識せず、ユングの研究を引継ぎ、発展させる者がいなかったことであり、その所為か、ユングの心理学は、いまだに誤解されたまま、放置されている。まるで、一時、隆盛を極めたものの、その後、影が薄くなった実存主義哲学の行く末を再現しているようである。ウエーバーの指摘通りカルト(culte)は宗教の起源であるが、同時に文化の源泉でもある。カルトは、カルチャー(culture)・文化の核となる語であり、ラテン語の耕作、崇拝の義から、宗教的な祭儀や崇拝をあらわす語源となった言葉でもある。文化大革命の名のもとに、中華人民共和国で1966年から1976年まで続き、1977年に終結宣言がなされた社会的騒乱は、当初、「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」という政治・社会・思想・文化の改革運動だった。しかし実際は、大躍進政策の失敗によって、国家主席の地位を劉少奇党副主席に譲った後、毛沢東共産党主席が自身の復権を画策し、紅衛兵と呼ばれた学生運動を扇動して政敵を攻撃させ、失脚に追い込むための、中国共産党の権力闘争であった。これにより1億人近くが何らかの損害を被り、国内を大混乱に陥らせ、経済の深刻な停滞と、文化浄化の対象となった貴重な文化財が甚大な被害を受ける結果となった。皮肉にも、文化創生運動が文化を破壊する結果を招いたことになるが、今から振り返ると、これも、或る種のカルトであったと思われる。明治期の日本で、神仏分離政策後、全国的に生じた、仏像・仏具の破壊などの廃仏毀釈運動も同断である。結局のところ、ウエーバーやデュルケームの言う様に、時を経て社会的に有用であると人々(の集合意識)に認知されたものが、社会淘汰の後、宗教・文化として生き残っているものと思われる。ところで、第二次世界大戦を生き延びたユングは、ヒトラーのナチスもまた、巨大カルトそのものであったことに、果して、気付いていたのであろうか。
『覚醒』