目次

〔01〕(2014.10.04) ~科学と芸術~

仮にアインシュタインが存在しなかったとしたら、物理学・天文学の歴史は変わっていたであろうか。 多少、進歩は遅れていたかも知れないが、恐らくアインシュタインに代わる者が必ず現れ、「相対性理論」を始め、彼が達成した数々の発見を、成し遂げたことと思われる。 自然の探求という科学の使命から鑑みて、自然法則が科学の進歩と共に逐次明らかにされる事は、それこそ自然の成り行きであると言ってよいであろう。 アインシュタイン自身がこの事を誰よりも良く理解していた様に思われ、「私はニュートンという巨人の肩の上に乗った小人に過ぎない」と言っている。 事実、物理学、天文学の諸業績のみならず、数学的道具立てが準備されていたからこそ、アインシュタインの発見が可能となったのである。 リーマン、ポアンカレを始め、ローレンツの数学に於ける功績抜きには「相対性理論」の定式化は出来なかったに違いない。 余り知られていないが、必ずしも数学が得意でなかったアインシュタインに対して、多くの数学的助言をした、弟子のレオポルト・インフェルトの存在も大きかったことを、指摘して置くべきであろう。インフェルト没後五十年弱が経過した今日なお、マックス・ボルンとの共同論文「ボルン=インフェルト理論」は今後、超弦理論、M理論の発展に大いに貢献するであろうと期待されている。 科学の世界と同様の事情は、芸術の場合にも当て嵌まるであろうか。例えばモーツアルトがいなかったとしても、モーツアルトに代わる者が現れ、モーツアルトと同様の作品を創作し得たであろうか。 勿論、モーツアルトと言えども、彼に先行する音楽家達、ハイドンやヨハン・セバスチャン・バッハの存在無しには、彼の作品を創造する事は不可能であった。 しかし、一方で彼と同時代の作曲家達がモーツアルトたり得なかったことも、また事実である。 モーツアルトに代わり得る者が、後の時代にも現れなかったとは断言できないが、仮にモーツアルトがその時代に存在しなかったとしたら、その後のクラシック音楽の歴史に及ぼす影響は、計り知れないものがあったと思われる。以上の推論は、科学(的探求)と芸術(的創造)の本質的な違いから、必然的に導かれるものである。 これはまた、文明と文化の違いでもある。我々が現在、モーツアルトが三十五年の生涯で遺した「音楽の捧げもの」(バッハ)ならぬ「音楽の贈り物」を享受出来るのは、幸運な事と言えるのかも知れない。

〔02〕(2014.10.05) ~母性愛~

母性愛は利他的な愛に近いとはいえ、残念ながら親のエゴを払拭し得てはいない。母性愛も地域、時代によって様相が異なるが、この点を切り口に人類の特性を調べて見るのも、意義あることと思われる。

〔03〕(2014.10.06) ~ユダヤ民族と客家(ハッカ)~

ユダヤ民族は第二次大戦後、イスラエルという国家を得たが、その代償として、ユダヤ民族本来の活力を失ってしまった様に思われる。「中国のユダヤ人」と呼ばれる客家(華僑)の現状とも比較対照して、考察して見たいテーマである。因みに、太平天国の洪秀全、中国国民党の孫文、中国共産党の鄧小平、台湾総統の李登輝、映画監督の侯孝賢、シンガポールのリー・クアンユー(李光輝)、タイのタクシン・チナワットとインラック・シナワトラ兄妹、等はみな客家の出身である。

〔04〕(2014.10.07) ~哲学(智慧)の変質~

人としてより良く生きる為の知恵が、哲学となり、学問となり、思想と化していく過程で、何かが失われてしまった。古の聖人達は自らの智慧と信念を身を以て体現し実践した。ドイツ観念論哲学以降に顕著なのは、哲学が机上の論と化して行ったことである。ドイツ観念論哲学への批判から生まれた、フッサールの現象学もハイデッガーの実存主義哲学も、そういう意味に於いては、ドイツ観念論哲学の延長線上にある。

〔05〕(2014.10.12) ~言語芸術による意識変化~

意識変化を伴う体験を経験と言う。
文学作品の読書によって、一時的、疑似的にではあるが、意識変化を体験させられることがある。若い頃、谷崎訳「源氏物語」を読んでいて、しばらく、平安貴族の集合意識に浸かっていたことがあった。リルケやオーデンの詩文は、読者を作者の実存的意識に引き込む作用がある。ジョイスの「ユリシーズ」は日常的意識を撹乱する効果があり、言葉のドラッグであると言いたくなる。韻文、散文を問わず、言語芸術に意識状態を変える力があることは確かなようである。

〔06〕(2014.10.13) ~西洋と東洋~

葛飾北斎をはじめ江戸後期の化政文化時代の浮世絵が、フランス印象派のモネやポスト印象派のゴッホに与えた影響に匹敵するインスピレーションを、ミルチァ・エリアーデに於いてはインド哲学が、カール・グスタフ・ユングの場合には道教思想が齎したように思われる。ユングのケースでは神秘主義的な側面に傾き過ぎているきらいはあるが、西洋の人間中心主義的、個人主義的偏りを是正する、一定の役割を果たしている様に思われる。東洋哲学が西洋哲学に与えた影響については、もっと研究され、検証されるべきであるが、その際、印象派・後期印象派絵画の場合同様、その影響が限定的なものに止まっていることも、肝に銘じて置かなければならない。「東は東、西は西」(キップリング・1865.12.30.ー 1936.1.18.)である。

〔07〕(2014.10.15) ~欺瞞の時代~

現在、世の中で進行している深刻な事態は、良識、良心の劣化である。今回の朝日新聞による捏造記事の問題は、ジャーナリズムの良心が失われて久しい事を物語っている。新聞は、良識ある輿論の仮面を被っていても単なる企業エゴの吐け口に過ぎない事を、世間に告知したも同然である。これ程、個人、組織のエゴが横行し、経済的利益をなりふり構わず、こぞって追求している現況は、恐らく人類史上初めての事態ではないだろうか。人間が欲望の代名詞となり、人々が皆、疑心暗鬼に陥るのも時間の問題であるような気がする。

〔08〕(2014.10.16) ~人類と環境~

進化論でいわれる進化とは環境適応優位性を指すものであり、宥和、相互扶助等の価値概念とは無縁のものである。人類が往古より大規模な戦争や相互殺戮を繰り返して来たことからも、この事は明らかである。今や人類そのものが人類の環境と化していることを考えると、人類は先ず自らの意識を正し、良好な意識環境を創ることから始めねばならない。それにしても、有史以来、文明の著しい進歩・発展に比して、意識の進化は何故遅々として進まないのか、何故ヒトの本性は変わらないのか。このアンバランスが、人類に壊滅的な禍をもたらさないことを、祈るばかりである。

〔09〕(2014.10.17) ~神道と仏教~

日本人の多くは、結婚式や七五三を神社で行い、葬式や故人の法要を寺で行う。欧米のキリスト教徒などから見ると不可解に思える様であるが、事の次第は簡単である。神道には明確なあの世、死後の世界の規定は無く、善悪は問わず余程傑出した人物でない限り、個人は死後、神として祀られる事は無く、ただ自然に還るだけである。もっとも自然そのものが神である神道では、自然に還ることは、大きな目で見れば死者達は皆、神(=祖霊)となることを意味する。これに対して近代仏教は宗派の別に拘わらず、明確に個々人の死後の存在を認め、(浄土真宗を除き)故人に戒名を授けている。そもそも神道は奈良時代以降の長きにわたり、仏教信仰と混淆し、ひとつの宗教体系として再構成され、神仏習合が行われてきたが、薩長を主体とする明治維新政府が天皇を中心とする国家統合を諮る為、神仏分離を進め国家神道を創ったという経緯がある。外国人にとって、神道と仏教とに二股をかけている様に見える日本人であるが、江戸時代までは、少なくとも 日本人にとっては何の違和感も無かった事と思われるし、考えようによって は、上手に棲み分けが出来ていたと言うべきかも知れない。勿論、この背景 には、密教の本地垂迹説が功を奏したこともあるが、仲良く共存しているの は別に悪い事ではなく、むしろ悦ばしい事ではないだろうか。

〔10〕(2014.10.18) ~意識と心~

意識と心はどう違うのか。意識現象と心的現象の相違は何か。これらの問に明確な答えを出すのは難しいが、前者は直感的で抽象的であり、後者は感覚的で具体的であるという事ぐらいは言えるかも知れない。
心理学は心の科学であると言われる。では、意識の科学は存在しているのだろうか。精神医学や脳生理学が一応、意識も研究対象としているようであるが、両者が対象としている意識は、それぞれ全く別のものであるように思われる。
意識の物理的実体は実在するのか、客観的意識の存在が実証出来ないとすれば、意識現象をどう規定するのか。心的現象同様、結局は直感的に了解する他ないものなのか。もしくは、「意識の不在」を仮定して、いかなる不都合が生じるか論証し、逆説的に意識の存在を示唆する他、方法はないのだろうか。 (cf.アフォーダンスの心理学)

〔11〕(2014.10.19) ~逆説的存在証明~

宇宙の質量とエネルギーの、総体に占める割合は、原子等の通常の物質が4.9%、ダークマタ―が26.8%、ダークエネルギーが68.3%と算定されている。ダークエネルギーの実態は、まだ明らかにされていないが、現在の膨張宇宙の維持に、ダークエネルギーの存在が不可欠であることから、謂わば逆説的に存在証明が為されたものである。 同様に、意識現象の存在無しに、人類の劇的な進化が有り得ず、文化の創造も為し得なかった事を考えると、意識現象も逆説的にその存在が証明される事になるのではないだろうか。

〔12〕(2014.10.20) ~変性意識~

トランスパーソナル心理学の中心的テーマである変性意識について、「覚書」では敢えて触れなかった。この問題を扱うには、ナチュラル・ドラッグやケミカル・ドラッグによる効果について、取り上げざるを得ないからである。更には、感覚遮断実験による変性意識の発現等も考慮し、意識と感覚の関係も明らかにせねばならない。これらを実証する為には、自らを実験台にして試して見る他ないが、その成果が期待できない割に、リスクが大き過ぎる。 ネイティブ・アメリカンを始め、古代より人類は、変性意識を体験する試みを密かに行って来たが、これによって、何らかの創造的成果が得られたという確かな証拠は見当たらない。一方で、ノーマルな意識による文化的成果は人類史上到る処に存在する。変性意識状態で人は、宇宙との一体感や全智全能感、至福感などを体験できると言われるが、同様の感覚は、ノーマルな意識状態に於いても、よりリアルに、より持続的に体験する事が可能である。勿論その際、意識を意識的に変化させなければならないが、薬物に頼り、変性意識状態を求めるより、ノーマルな意識の可塑性に賭けた方が賢明である。

〔13〕(2014.10.21) ~人の本性~

長年、人々を観察してきて不思議で不可解なのは、結局、人は自分の生きたいようにしか生きないのではないか、と思われる事である。傍で見ていて、そんな生き方をしていると碌な事にならないと心配しても、本人は一向に気にする様子は見られない(わかっちゃいるけどやめられない♪ようである)。何を言っても聞く耳を持たず、我が道を行くのみである。しかも可笑しな事に、選択肢が有り、自由であればある程、その人の負の部分が表面化し易くなり、悪い方に向かいやすい(小人閑居して不善を為す)。自らを客観視したり、律したりする事が、人は何と苦手な生き物である事かと思わずにいられない。孔子が「論語」で幾ら戒めても無駄であるようだ。これもまた「意識の壁」であると思われるが、寧ろ仏教で説く「業」であると言った方が良いかも知れない。人生を微分すると「出会=縁」に到るとすれば、人生を積分すると恐らく「本性=業」に行き着くものと思われる。

〔14〕(2014.10.24) ~吾がハレム~

イスラムのトルコを起源とするハレムはオスマン王朝時代に最盛期を迎えた。戦争捕虜や貧困家庭からの売却によって奴隷身分となった様々な人種の女性達が、イスタンブルで購入され、各所の宮廷に配属され、その数、1000人を超えた事もあったという。彼女達は、歌舞音曲、礼儀作法、料理、裁縫、アラビア文字、詩などの文学、等の教養を身に付けさせられ、最終的には、皇帝の住居であるトプカプ宮殿に移された。イスラムだけに仔細はヴェールに包まれているが、その中には、スレイマン1世の夫人、ヒュッレム・スルタン(ロクセラーナ)の様に、元キリスト教徒の奴隷から、皇帝の寵愛を得て、正式な妻に取り立てられた例もある。古き良き時代のトルコのハレムについてはこれぐらいにして、吾がハレムの話に移ることにしよう。スルタンのハレムと比べ、はるかに規模は小さいが、吾がハレムにも、様々な国と地域から100を超す個性豊かでバラエティーに富むもの達が集められ、私の寵愛を受けるべく待機している。ところで、トルコは男女を問わず、喫煙率が高いことでも有名である。水パイプの使用も盛んであるが、パイプの女王と言われる、メシャム・パイプの素材である海泡石の産地でもある。メシャム・パイプによる喫煙は、18世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパの貴族階級で流行した。その後、19世紀後半に、アルジェリア、ナイジェリア、コルシカ島でブライヤが採出されると、耐久性に優れたブライヤ・パイプが主流となり、現在に到っている。ここらで種明かしをすると、吾がハレムの女性達とは、このブライヤ・パイプ達のことである。何だそんなものか、と思われるかも知れないが、私の数少ない女性経験から言うと、女性とパイプ選びは、共通点が多いのである。かくいう私は、女性の品定めには自信が無いが、パイプの良し悪しについては目利きであると自負している。そもそもパイプは喫煙の道具であるが、パイプによる喫煙の歴史は古く、紀元前10世紀頃のマヤ文明で始まったといわれ、アメリカ原住民の間でもパイプによる喫煙を神聖な儀式の際に執り行う風習があった。パイプに限らず、様々な方法による煙草の喫煙は大航海時代の到来と共にヨーロッパに伝播し、15世紀から16世紀にかけての100年間で急速に世界各地に広まった。吾がハレムのパイプ・コレクションは、デンマークが発祥の地とされる個人作家の創作によるハンドメイドのブライヤ・パイプが大半を占める。面白いことに、同じ煙草を吸っても、パイプによって、その味わいが明らかに異なる。茶の湯で、名品と言われる茶碗で飲むと茶の味が違うのと同様である。使い手の上手下手がパイプの状態を左右する点は、ヴァイオリンなどの楽器とも似ている。しかも厄介なことに、ストラディバリウスにも出来不出来があるように、同じ作者のものでも当たり外れがあり、購入して、しばらく付き合ってみないと分らないのである。女性とある程度一緒に暮らして見て、はじめて相性が分るのと、事情は同じである。因みに、吾がハレムの中で、未だに変わらぬ寵愛を受けているパイプは、僅かに8本だけである。嫌煙家から何と言われようと、晴れた日の朝夕に、これらのパイプ達とベランダで過ごすひと時は、私にとって何ものにも代えがたい至福の時間なのである。

〔15〕(2014.10.27) ~現代文明と現代文化~

文明と文化については、これまで様々な定義付けが為されてきた。例えば、司馬遼太郎は『アメリカ素描』のなかで、以下の様に語っている。
「人間は群れてしか生存できない。その集団を支えているものが、文明と文化である。いずれも暮らしを秩序づけ、かつ安らげている。 ここで、定義を設けておきたい。文明は「たれもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの」をさすのに対し、文化はむしろ不合理なものであり、特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもので、他に及ぼしがたい。つまりは普遍的でない。」
文明と文化に対するこの様な見方は、今日では、楽観的過ぎると言ってよいであろう。何故なら、今や人類社会は新たな局面を迎えており、文明の進歩と文化の衰退とのアンバランスにより、危機的状況に直面しているからである。現代文明の担い手は、主として企業である。一方、現代文明を享受しているのは、企業がターゲットとしている、一般市民である。この様な事態は、おそらく人類史上初めてのことであり、この様な状況に合わせて、現代文化も大衆化を余儀なくされている。自然も文化も進化の源泉は、その多様性にあるが、文明は平準化を専らとする。結果として世界の画一化・人工化が急速に進んでいる。世界自然遺産や世界文化遺産への関心の高まりは、自然と文化の現状に対する危機意識の現れと言ってよい。文明はいわば最大公約数としての人間の物質的豊かさを目指し、文化は最小公倍数としての人間の精神的豊かさを志向するものであるとすれば、前者のみが増大し、後者が減少している現況はゆゆしいことである。人類の「創造的進化」(アンリ・ベルクソン)の証が文化であるとすれば、エラン・ヴィタール(生命の飛躍)の衰弱による文化の衰退は、正に人類(の生命力)そのものの進化の停滞を意味する。このまま行けば、文明の進歩に人間精神の進化が追い付かず、いずれは、人類が自ら生み出した文明をコントロール出来なくなるものと危惧せざるを得ない。

〔16〕(2014.10.28) ~教養と文化~

文化は教養の母である。文化は人々の懸命な創造活動の足跡であり、教養は人がより良く生きようと試行錯誤の末に身に付けた智慧である。文化は人々の創造的営為によって存続し、いわば師資相承的に受け継がれて来た。大事なことは、教養も文化も、人々が真摯に生きた結果として現出したものである、ということである。企業文化と称し、意図的に文化を創造しよう等という試みは無意味であり、自己啓発などの功利的目的の為に教養を身に付けようとしても無駄である。過去の偉大な諸文化も、その後の人々によって追体験され、継承されて、現在の文化に活かされている。人は、生涯を懸けた「温故知新 (論語・為政篇) 」の営みを通じて、生きた智慧、すなわち教養を体得し、体現することとなる。その際、肝心なことは、自己実現(マズロー)などと云うケチな事を考えず、自己を超え、開かれた意識を持ち、人類の創造的進化を担う要員であるという自覚を持つことである。この様な人々が増えていけば、いずれ、いつの日か、第二のルネッサンスとも言うべき、意識革命による人間復興が実現することも、夢ではないかも知れない。
ミシェル・ド・モンテーニュ「エセー」1580年
ヤーコブ・ブルックハルト「イタリア・ルネサンスの文化」1860年
オルテガ・イ・ガセト「大衆の反逆」1930年
ジッドゥ・クリッシュナムルティ「自我の終焉-絶対自由への道」1954年
エリック・ホッファー「現代という時代の気質」1967年
グレゴリー・ベイトソン「精神の生態学」1972年、「精神と自然」1979年

〔17〕(2014,10.31) ~自由と平等~

人間は生まれながらにして不自由であり不平等である。人は何時、何処で、どの様に(例えば男女どちらに)この世に生まれるか、自身で自由に選ぶことは出来ない。また誕生の瞬間から、性別、能力、境遇による格差を背負っている。以上はヒトに限らず、恐らく動物全般に適用される冷厳な事実である。ホッブス、ロック、ルソー等の自然人に対する認識は、西欧特有の偏見により、人間を動物から区別して特別視し、(人間の本性に理性を含める含めないに関わらず)自然状態の人間を理想化し過ぎているきらいがある。従って「人間不平等起源論」(1755年)に於ける、人間は自然状態では平等であったが社会状態の到来により不平等が齎された、という、ジャン・ジャック・ルソーの主張も誤りであると言えよう。むしろ事情は逆ではないのか。仮に人間が自然状態で放置されていたら、生存競争による弱肉強食の結果、不平等が却って拡がっていたかも知れないのである。少なくとも奴隷制は存続したままであったであろう。人類の歴史を振り返ると、善悪はともかく、社会の進歩と共に人類固有の不平等が漸次、是正されつつあるように思われる。現在、日本では9年間の義務教育を課し、生徒に対し一律に平等な教育を施している。にもかかわらず、生徒間に優劣が生まれてしまうのである。これを見ても、人類固有の不平等を人為的に解消することが、如何に困難であるかが分る。しかも、人類固有の不平等・不自由を無くすことが、必ずしも人類にとって、良いことであるとは言えない。人類の文化は、誤解を恐れずに言えば、この「人類固有の不平等・不自由≒多様性」によって齎されたものだからである。ここで、「人類固有の不平等=個人的不平等」「人類固有の不自由=個人的不自由」と仮に定義し、「社会的不平等」「社会的不自由」と区別して考えてみたい。ルソー(1712年6月28日-1778年7月2日)が生きていた時代のフランスは階級社会であり、確かに、社会的不平等、社会的不自由が存在したことは事実である。ヴォルテールの啓蒙思想、ルソーの社会契約論、アメリカ独立宣言(1776年7月4日)等に影響を受けた、貴族、知識人に民衆が共鳴したことにより、旧体制(アンシャン・レジーム)に対する反発が鬱積し、フランス革命(1787年-1799年)の勃発につながり、紆余曲折を経て、近代ブルジョワ社会の実現に到ったと言われている。フランス革命が掲げた「自由・平等・友愛」の近代民主主義の諸原理は、その後「人権宣言」の法制化(1789年8月26日)を経て、現代における市民社会や民主主義の土台となったが、一方で、理念に基づくあらゆる社会の改造やその為の暴力的手段を正当化したことで、共産主義、社会主義、全体主義への道を開くことにもなった。「英国・保守主義の父」として知られる、エドマンド・バーク(1729年1月12日-1797年7月9日)が、不確かな人間理性への偏重と、正規の手続きを欠いた暴力的手段に対して、痛烈な批判を表明し、フランス革命に否定的であったことは有名である。伝統的慣習を重んじる不文律の国、英国を代表する保守主義者として、バークは、イギリス国民が享受し、保守してきた「自由」「名誉」「財産」は、世代を超えて生き続けている慣習や道徳が宿る中間組織、例えば、家族、ムラ、教会組織によって守られ、受け継がれて来たと考える。理念に基づく急進的改革では無く、先祖代々培われた智慧による漸進的改革を善しとする。私が考えるに、バークの理想は、文明と文化がバランスよく共進化する事ではなかったかと思われる。イギリスではまた「ノブレス・オブリージュ」の思想が浸透している。これは社会的優越者に対して、自発的な無私の行動(慈善活動やボランティア活動)を促す社会的圧力であり、累進課税制度などと共に、社会的・個人的不平等の改善に少なからず役立っている様である。余談であるが此処で、フランス7月革命後の動乱の中で、(犠牲となったか、自己犠牲であったかはともかく)夭折した大数学者エヴァリスト・ガロア(1811年10月25日-1832年5月31日)について少し触れておきたい。生れて来た時期が悪かったと言えばそれまでであるが、この天才の余りにも短い人生は不運としか言いようがなく、数学の発展にとっても不幸な出来事であった。ガロアは17歳で最初の重要な数学論文をフランス学士院のコーシーに提出したが、コーシーが紛失したため取り上げられなかった。その後、同じ論文を再度提出したが、論文を預っていたフーリエの急死により、またも論文は紛失されてしまう。有名な「時間が無い」という言葉と共に遺された論文は、遺書に従い、ガウスやヤコビの許にも送られたが、余りの先見性ゆえに理解されず、正式に評価されたのは没後15年経った後であった。なお彼が創始した「群論」は、アインシュタインの相対性理論におけるローレンツ群やハイゼンベルクの量子力学に応用されている。さて、過ぎた時代の話はこれ位にして、現在の現実に戻ろう。現代の大方の先進国に於いては、民主主義が定着し、自由主義経済のもと、国民に対して、法の下の自由と平等が保証されている。大局的に見れば、ルソーの時代と比べても、「社会的平等」「社会的自由」に関しては、飛躍的に進歩している様に思われる。資本主義経済の発展に伴う自由競争社会に置かれている人々は、むしろ自由を持て余している様でもある。サルトルは講演「実存主義はヒューマニズムであるか」のなかで、「人間は自由という刑に処せられている」とまで言っている。また、文明の平準化機能と大衆文化による愚民化により、「個人的不平等」も改善されつつあるように思われるが如何であろうか。

〔18〕(2014.11.01) ~お金について~

推定資産810億ドルで、2014年、世界長者番付1位の、マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツ(1955年10月28日―)、は現在、ビル&メリンダ・ゲイツ財団の慈善事業を通じ、途上国のエイズ、マラリア、結核の根絶や、教育、貧困、識字の改善に尽力している。ビル・ゲイツは「レオナルド・ダヴィンチのレスター手稿」、「世界初の印刷聖書=グーテンベルク聖書」を個人所有しており、一般にも公開している。また、資産家であると同時に、倹約家としても知られ、仕事で世界中を飛び回っているが、一般旅客機に乗る際は、極力エコノミークラスに座ることにしているようである。お金の使い道の話からはそれるが、「Windows」は今や地球上到る処に普及し、世の中の風通しを良くする「知識と情報の窓」として、人類に多大な貢献をしている様に思われる。さて、現存する世界一のお金持ちの話をしたので、今度は世界一貧乏だった歴史上の人物の逸話を紹介したい。古代ギリシャの哲学者ディオゲネス(紀元前412年?-323年)、のことである。酒樽などに住み、ホームレス同然の生活を送っていたディオゲネスは、徳の追求こそが人生の目的であり、欲望から解放されて自足すること、動じないことが重要であると考え、肉体的、精神的鍛錬を重んじた。また、唯一正しい政府は世界政府であると主張して、自らをコスモポリタンと称し、史上初めて「コスモポリタニズム」を唱えた。紀元前336年、アレクサンドロス大王がコリントスを訪れ、体育場で日向ぼっこをしていたディオゲネスにわざわざ会いに行き、何か希望は無いかと尋ねた際、ディオゲネスが、あなたがそこに立っていると日陰になるから退いてください、とだけ答えた話は有名である。帰途アレクサンドロスは、余がもしアレクサンドロスで無かったら、ディオゲネスに成りたいと語ったという。ビル・ゲイツにせよ、ディオゲネスにせよ、少なくとも共通して言えるのは、忌野清志郎の唄ではないが「宝くじは買わない」と思われることである。 著名人二人の話の後に、私事で恐縮ではあるが、六十年余り生きて来て、お金の事で悩んだ記憶は殆んどない。もっと、お金に執着をもって生きていたら、蔵の一つや二つは建っていたかも知れないが、別に後悔もしていない。 お金は必要なだけ有れば良いと思っている。どの程度有れば良いかは、人によって異なると思うが、何れにせよ、足るを知ることが大切である。今の世の中、お金が幅を利かせているが、お金では買えないものもある。第一に先ず、健康である。一昨年の暮、脳梗塞を患い、私も身に沁みて実感したばかりである。次に、愛情、信頼といった人の心も、お金では贖えない。心は心で贖うしかないのだ。健康、人の愛情と信頼、等は、幸福な人生を送る為に不可欠なものであるが、いずれも、お金で自由になるものではない。お金を稼ぐ為に、あるいは仕事で成功する為に、人生を尽やすのは馬鹿げている。 お金も、仕事も、本来、人生の目的などでは無く、充実した、幸福な人生を送る為の手立てに過ぎない。将来に備え、お金を貯めることも、ある程度は必要であろうが、どの様にお金を使うかも重要である。お金の使い方で、その人の価値観、人生観、とりわけ教養が露呈するように思われるからである。

〔19〕(2014.11.04) ~時間について~

時は命である。時は金なり、とよく言われ、実際に時給計算により労働の対価が支払われたりしてもいるが、同じ1時間でも人により、密度も内容も違う為、厳密に言えば、人の時間を金で換算することはできない。人それぞれに固有の時間が集積した結果である人生を、金銭的に評価することは本来無理であるが、保険や保証に関する場合は、便宜的に金に置き換えて評価されている。生きた時間の合計が寿命なら、人の時間は命そのものである。当たり前のことであるが、時は命であり、時は金より貴重である。時間に関しては、勿論、物理的な定義も為されている。我々の住む4次元時空に関しては、時間と空間は同列に扱われ、アインシュタインの相対性理論により定式化されている。ヘルマン・ミンコフスキー(1864年6月22日-1909年1月12日)は、特殊相対性理論の数学的基礎を論証し、ミンコフスキー時空の光円錐モデルを考案した。アインシュタインはスイス連邦工科大学に在籍中、準教授であったミンコフスキーの教えを受けている。現在、物理的時間に関しては、科学的認識がほぼ一致しているのに対して、人間的時間に関しては、哲学、心理学、精神医学等によって研究され、様々な学説、論考が存在しているが、何れも定説となるには到っていない。以下に主だったものを参考までに挙げておこう。
エトムント・フッサール(1859年4月8日-1938年4月27日)
『内的時間意識の現象学』
アンリ・ベルクソン(1859年10月18日-1941年1月4日)
『意識に直接与えられたものについての試論』、邦題『時間と自由』
ウジェーヌ・ミンコフスキー(1885年4月17日-1972年11月17日)
『生きられる時間』
マルティン・ハイデッガー(1889年9月26日-1976年5月26日)
『存在と時間』
これ等の人間的時間論に共通するのは、個人としての人間を対象とした、「意識的時間」を問題としている点である。したがって「個人意識的時間論」とでも称すべきものであるが、残念ながら「集合意識的時間論」について本格的に論じたものは、今の処、見当たらない。例えば『中世の秋』(ホイジンガ)と「現代の秋」とでは、人々の時間意識は相当違う様に思われる。個人的時間意識に関して言えば、時間に感情が付随することもある。楽しい時間、退屈な時間、幸せな時間、等々である。時間は付随する感情により、短く感じたり、長く思われたりもする。また、年齢によっても時間意識は多少違う様である。一生の時間の流れを見ても、遅速、緩急、疎密がある。そもそも、人によって時間に対する意識、感覚、価値観、等が異なる。しかも、何らかの原因による時間意識の変化がもとで、意識が激変する場合もある。その際、当人の世界認識の変化を伴う事が多い。「末期の眼」は、典型的な例であろう。芥川龍之介は『或旧友へ送る手記』で述べている。「唯自然はかういう僕にはいつもよりも一層美しい。君は自然の美しいのを愛し、自殺しようとする僕の矛盾を笑ふであらう。けれども自然の美しいのは、僕の末期の眼に映るからである。」おそらく、特攻に赴く直前の若者、末期癌の宣告を受けた患者、老齢の身で長旅に出た芭蕉、等も同じように「末期の眼」で自分を取り巻く世界を眺めて居たのではないだろうか。このような現象は「生きられる時間」が切り詰められたことにより、時間意識の密度が高まり、意識の質的変化が生じ、その結果齎されたものと思われる。翻って、普段人は、「時は金なり」などと言っている割には、金よりも時間を浪費することに無頓着である。「時は命である」事を考えると、大方の人にとっては、命より金の方が大切な様である。

〔20〕(2014.11.09) ~男と女~

「男と女」、この問題は、私にとって難題であり、出来れば避けたいテーマである。何故なら、女性に関しては、勉強不足で、正直な処、よく分らないからだ。他の問題であれば、自身の経験と思考で、何とか対処出来るが、こればかりは、そうはいきそうにない。ということで、本意ではないが、学問的知見に、助けを求めることにする。従って、以下の考察は、生物学、生理学、動物行動学、文化人類学、精神医学、心理学、等を参照し、私の貧弱な経験から割り出したものであることを、あらかじめ、お断りしておきたい。聖書によると、イブ(女)はアダム(男)の身体の一部から創られたとされている。事実は逆で、発生学的にも、生物学的にも、男は女から派生し、女から産れる。その所為か、生涯、男は女にコンプレックスを持っている。人類の誕生から今日に到るまで、女は男と交わり、男を産み、育てて来た。「女」は「男」を知り尽くしている。それに引き換え、「男」の「女」に関する経験は、お粗末そのもので、とても「女」には太刀打ち出来ない。最近明らかになった(1987年.ネイチャーに発表された)研究によると、現在の人類に最も近い共通女系祖先は、16±4万年前に存在した一人のアフリカ人女性であるという。女から女にしか受け継がれないミトコンドリアDNAを遡ることにより辿りついた為、ミトコンドリア・イブと名付けられた。現存する全人類に、この「源・祖母」である女性の血が混じっている。したがって人類は皆、大きな母系家族の一員であると言える。因みに、男から男にのみ伝えられるY染色体を遡ることも出来、2000年、ネイチャ―・ジェネティクス誌上で、6万年程前に生存していたと見られるY染色体アダムの存在が確認されたとの発表があった。ここで、注意しておきたいのは、血は保たれれば良いというものではなく、濃くなり過ぎても問題が生じることである。人類が、本能的にも、慣習的にも、法的規制によっても、近親相姦を避けて来たのもその為である。自然も、人類も、文化も、多様性の減少は進化にとって致命的なダメージとなる。私が現代における、人工化、画一化、平準化を憂慮する所以である。人類の男女の起源についてはこれ位にして、次に、男女の性差について考えてみたい。男女の外形的性差については、皆、関心があり、よく御存じであると思われるので、ここでは端折って、脳の解剖学的性差に的を絞って視てみたい。「女脳」の特徴として、「脳梁膨大部」が脳全体に占める比率が、「男脳」より大きいことが先ず挙げられる。(ただし、脳梁膨大部の容量の絶対値は男脳の方が大きい。)「脳梁膨大部」は、視覚情報や言語情報の処理に関わる大脳半球間を連絡する神経線維からなっている。また、「大脳辺縁皮質」の情動反応に関連している部分は、男より女の方が大きい。この事実から「女脳」は「共感脳」と呼ばれることもある。「女脳」は言語操作に長けているというデータもある。「男脳」の顕著な特徴は、「女脳」に比べ、平均重量で1割ほど大きいことである。「男脳」は別名「システム脳」などとも言われ、空間操作に優れていることを裏付けるデータがある。以上の解剖学的な性差に由来する男女の違いは、日常生活に於いては、あまり目立たず、気付きにくい。しかし、歴史をひも解いてみれば、このような男女の相違は、歴然と看て取れる。男と女は、歴史のなかで、大文字で書かれていると言ってよい。歴史を俯瞰して先ず分るのは、男と女には、それぞれ得て不得手があることである。科学的な分野に於いて、女より男の方が向いていることは、ノーベル賞の受賞者の内訳を見ても了解される。しかし何事にも例外がある。話はそれるが、女性初のノーベル賞受賞者はキュリー夫人である。その際夫のピエール・キュリーと共に受賞したのは、ノーベル物理学賞で、「アンリ・ベクレル教授が発見した放射現象に対する共同研究において、特筆すべき、たぐいまれな功績をあげたこと」が受賞理由である。ピエール亡き後、キュリー夫人は、2度目のノーベル賞を単独で受賞する。今度は、ノーベル化学賞で、「ラジウムとポロニウムの発見と、ラジウムの性質およびその化合物の研究において、化学に特筆すべき、たぐいまれな功績をあげたこと」によってであった。これにより、マリ・キュリーは初めて2度のノーベル賞受賞者となり、また異なる分野で授与された最初の人物ともなった。キュリー夫人の娘イレーヌは、その夫フレデリック・ジョリオ=キュリーと共に、人工放射能の研究でノーベル化学賞を受賞している。放射能の名付け親であり、放射能を量る単位ともなっているキュリー夫人の発見は、放射線の医学的利用に道を開き、ラザフォードの原子物理学の研究に引継がれ、20世紀における原爆の製造や現代の原発問題へとつながっている。キュリー夫人は、1934年7月4日、放射能の影響によるものと思われる再生不良性貧血症が原因で亡くなった。人類に放射能の存在を知らしめたのが、女性であったのは、何かの因縁かも知れない。私は何故か、ギリシャ神話の「パンドラの箱」の故事を思い浮かべてしまう。「放射性物質」という「パンドラの箱」に入っていた放射能が、女性初のノーベル賞受賞者である、キュリー夫人の手によって解き放たれてしまったように思えてならないのである。また話は、それてしまうが、パンドラについてはご存じだろうか。男と女の問題にも関わる話なので簡単に復習しておきたい。「プロメーテウスが天界から火を盗んで人類に与えた事に怒ったゼウスは、人類に禍を齎す為に女性というものを創るよう神々に命じたという。へーシオドス『仕事と日』(47-105)によれば、へーパイストスは泥から彼女の形を造り、神々はあらゆる贈り物(=パンドーラー)を与えた。アテ―ナーからは機織や女のすべき仕事の能力を、アプロディーテーからは男を懊悩させる魅力を、ヘルメ―スからは犬のように恥知らずで狡猾な心を与えられた。そして、神々は最後に彼女に決して開けてはいけないと言い含めて甕(後代に箱といわれるようになる)を持たせ、エピメーテウスの許へ送り込んだ。美しいパンドーラ-を見たエピメーテウスは、兄であるプロメーテウスの、ゼウスからの贈り物は受け取るな、という忠告にも拘わらず、彼女と結婚した。そして、ある日パンドーラーは好奇心に負けて甕を開いてしまう。すると、そこから様々な禍(疫病、悲嘆、欠乏、犯罪などなど)が飛び出した。しかし、エルピス(予兆、期待、希望)のみは縁の下に残って出て行かず、パンドーラーはその甕を閉めてしまった。こうして世界には災禍が満ち人々は苦しむことになった。へーシオドスは、『かくてゼウスの御心からは逃れ難し』という言葉をもってこの話を締め括る。」以上であるが、最後に甕に残ったとされる「エルピス」を予兆、期待、希望のどれであるか解釈し、それが残った意味をどう考えるかについては、諸説ある。シニカルなヘーシオドスの言であることを考慮すると、(不吉な)予兆、(無駄な)期待、(虚しい)希望というように、否定的に読み解いた方がいいように思われる。キュリー夫人が開けた、「放射性物質」という「パンドラの箱」に残ったものが、これと同じようなもので無い事を願わずにいられない。さて、いいかげんこの辺りで、本題に戻ろう。歴史的事実に照らして、科学的分野は女性に不向きであるとして、芸術に関してはどうであろうか。結論から言えば、この分野も、女性は向いていないように思われる。ただし、特定のジャンルの言語芸術、小説、童話などは別である。この方面では、名だたる女性作家が目白押しであり、これもまた、解剖学的知見を裏付けるものである。『源氏物語』の作者である紫式部をはじめ、『高慢と偏見』『エマ』のジェーン・オースティン、『ジェーン・エア』『嵐が丘』『ワイルドフェル屋敷の人々』のシャーロット、エミリー、アンのブロンテ三姉妹、『大地』のパール・S・バック、『若草物語』のルイーザ・メイ・オルコット、『赤毛のアン』のルーシー・モード・モンゴメリ、『小公子』のフランシス・ホジソン・バーネット、『大草原の小さな家』のローラ・インガルス・ワイルダー、『アルプスの少女ハイジ』のヨハンナ・シュピリ、『ピーターラビット』のヘレン・ビアトリクス・ポター、『ムーミン』のトーベ・ヤンソン、等、枚挙に暇がない。ここでひとつアドバイスをしておきたい。男性は女性作家の作品を読むことで得るところが多々ある。何故なら、彼女たちは作品の中で、同性や異性や物事に対する、自分たち女性の物の見方、感じ方、考え方をそれとなく表明しており、女(女の子)であるとは、どういうことであるかを教えてくれているからである。例として挙げた上述の作品から選んで試して見るのもよいかも知れない。次に、冒険、探検の分野ではどうであろうか。最近でこそ、女性登山家や女性宇宙飛行士があまり珍しく無くなったが、やはり男性の後塵を拝している感は否めない。また、スポーツやゲームに於いては、あきらかに女性は、男性に伍して戦うことは難しい。最後に、統治能力、政治的手腕に関しては、如何であろうか。この点について、歴史的検証を行う前に、根深い偏見をひとつ取り除いておきたい。古くから中国に「牝鶏(ひんけい)ノ晨(あした)スルハ惟(こ)レ家ノ索(つ)クルナリ」(書経・牧誓)という諺がある。これを日本では「雌鶏が時を告げると家が滅びる」と言い伝えられ、「女が政治に口を出すと国が滅びる」という意味で使われて来た。これは紛れもなく偏見であって、歴史的な事実に照らして見ても、当てはまらない。中国では、史上唯一の女帝である則天武后のように、政治に私情を持ち込み、悪政により民を苦しめた例や、毛沢東夫人、江青のように、文革を主導し、四人組で一種のクーデターを企てた例などがあったことは確かである。また歴史上「雌鶏が時を告げて」国が滅ぶこともあったかも知れない。しかし「雄鶏が時を告げて」いても国が滅んだ事例は幾らでもある。したがって、先ずはこの様な偏見を捨て、虚心に歴史を振り返ってみたい。女性は古くから家を守り、家政を取り仕切って来ただけあって、歴史に名を残す、優れた女帝も少なくない。男権社会にあっては、むしろ多かったとさえ言える。代表的な例を挙げてみよう。日本では推古天皇(在位593年1月15日‐628年4月15日)を嚆矢とすべきであろう。推古天皇は実在した日本初の女帝であると同時に、東アジア初の女性君主でもある。推古天皇は聡明、公正な女帝であったようで、甥の厩戸皇子(聖徳太子)を皇太子として、万機を摂行させた。蘇我氏(馬子)の圧力に屈せず、冠位十二階および十七条憲法の制定、遣隋使の派遣、仏教の興隆、法隆寺の建立などを、厩戸皇子と行い、明君の誉れが高い。日本同様に王室が現存するイギリスでは、エリザベス1世(在位1558年11月17日-1603年3月24日)という、名高い女帝が統治した時代があった。エリザベス1世は、自ら徴用した、ウイリアム・セシルとニコラス・ベーコンの補佐を得て、中道的、穏健な政冶を行い、内政、外交共に手腕を発揮し、国を隆盛に導いた。宗教戦争を避けるため、カソリック、プロテスタント、何れにも肩入れせず、イングランド国教会体制を確立した(1563年)。宗教問題やネーデルランドへのイングランドの介入を巡り、スペインのフェリペ2世が侵攻しようとした際、キャプテン・ドレークの協力により、アマルダの海戦で、スペインの無敵艦隊を打ち破ったことは有名である。エリザベス1世の善政下、イングランドは平和が維持され、財政も好転し、為替取引所の設立、株式交換の実施、などが行われ、磁石の発明による航海術の進歩と相俟って、将来の植民地経済による発展への土壌が創られた。また、クリストファー・マーロウ、ウイリアム・シェイクスピアの詩文、戯曲はイギリス・ルネッサンスの先駈けとなった。エリザベス1世は、生涯独身を通し、操と王室の権威を守った。「私は見る、そして語らない」がモットーで、これにより、政略結婚などから身を護ったが、肝心な時には、発言も、演説もしており、その中の幾つかは、歴史に残る名言、名演説とされている。彼女の弱点を強いて挙げるとすれば、幼友達でもあった愛人、ロバート・ダドリー(後のレスター伯爵)への寵愛ぐらいであろうか。エリザベス1世と言えども、やはり女であったようだ。さて、女帝以外にも、有能な宰相として歴史に名を残している女性もいる。例えば、インドのインディラ・ガンジー首相(1917年11月19日-1984年10月31日)などである。また、現役ではあるが、ドイツのアンゲラ・メルケル首相(1954年7月17日-)も、脱原発を決断し、難しい局面を迎えたEUの維持に貢献している。なお、メルケル首相が敬愛する人物は、ロマノフ朝第8代ロシア女帝(在位1762年6月28日-1796年11月6日)、エカチュリーナ2世である。これらの魅力的な女性たちについても紹介したいのは山々であるが、切りがないので他の機会に譲り、ここでは割愛させて戴くことにする。以上の例から、統治や政治に長けている女性が結構いることが分って貰えれば幸いである。勿論、全ての女性がそうであるということではない。全ての男性がそうでないと言えないのと同じである。しかし、少なくとも、この分野に関しては、男女の適正に優劣は存在しないように思われる。これまで、様々な分野における女性の向き不向きを検証してきたが、大事な分野を忘れていることに気が付いた。それは「教育」である。幼児、児童の教育に関しては、家庭教育で充分実績のある女性の領分でもあることを、認めるに吝かではない。家庭教師の適性があることは、上流階級の子弟の養育が、しばしば乳母に委ねられていた事実や、ヴァイニング夫人、アン・サリヴァン、などの事例によって実証されている。では、大学に於いてはどうであろうか。現在大学は実態として、国公立は一般法人化、私立は一般財団法人化しているようである。文系においては、経済学部や法学部に、理系に関しては、医学部、薬学部といった有資格者となる為の専門学部や企業の下請研究所か人材養成所となっている学部に重点が置かれているのが実情である。その他の学部や学科は、大学の体裁を整える為か、学生の数合わせの為に置かれている様に思われる。要するに大学は社会に出て就職する為の予備校化しており、今や、とても学問の府とは言えないようである。そういう現状であれば、本来、創造的学問研究に向かない女性を、もっと教授に登用してもいいように思われる。おざなりに講義をおこなっている男性教授より、学生の立場からしても、真面目な女性教授の方が余程ましなような気がするがどうであろうか。政府には、女性の社会進出の有望な分野として、是非検討して貰いたいものである。現在、女性の社会的役割が取りざたされ、女性の社会進出が期待されている。これには少子化の影響もあるのかも知れない。私の予想では、日本では特に、今後、女性の社会進出は、政府が奨励するまでも無く、急速に拡大していくものと思われる。逆に政府は、そのペースにインフラの整備が追い付かないことを危惧している様に見える。具体的に言えば、子育てをどうするかということである。しかも、その際、子供にとってどうなのか、ということは無視されているようである。ひと昔前の日本では、専業主婦が家庭で子育てをするのが一般的であり、当たり前であった。これは「日本の伝統的文化である」と言ってよい。「家庭における子育て」こそは、本来、女性が果たすべき創造的、文化的役割である。女性が家庭での子育てを放棄することは、必然的に家庭という、文化の伝達、創造の場が消滅することを意味し、文化の衰退をさらに助長することになる。社会に於いて今や、文化的創造の場が急速に失われつつある。その為、本来男性が行うべき文化的活動の機会も減り、男が男で無くなりつつあるのかも知れない。その上、女が女で無くなったらどうなるのか。過去の歴史を振り返って、男女の違いを検証しても、今後、激変するかも知れない未来に於いては、差ほど、意味を為さないかも知れない。「男と女」についての考察を締め括るに当たり、付け加えておきたいことがある。人間には「男と女」がいるだけではなく、「男の子と女の子」がいることである。「女の子」が「女」に成るのは、処女を失うことによってではなく、子供を産むことによってであると言われている。少女がいかに脱皮して女に成るのか、この辺りの事情は、女性作家の自伝的小説などによって伺うことが出来るかも知れない。では「男の子」はどのようなイニシエーションを経て「男」に成るのだろうか。物心両面の自立,なかんずく精神的自立であると思われているが、これまで、その為に考え出されていた文化は、殆んど形骸化してしまっている。今や、「男」に成れない「男の子」が増えている。「女」に成れない「女の子」も増えつつある。「男と女」の運命は今後、いかなる事になるのであろうか。
「男と女」を書き終えて;正直な処これ程の紙数(6頁)を費やすとは、思ってもいなかったが、書き終えてはじめて、このテーマで、何について言いたかったのか分った。ポール・ゴーギャンが絵の題名にした次のようなことについてである。
『われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか』

〔21〕(2014.11,11) ~「時間を共有する」こと~

時が解決することは余りないが、時を経て機が熟することはある。ワインの熟成には、時が必要であり、人間が成熟する為にも、時が必要である。もちろん、馬齢を重ね、年を経ても成長しない者もいる。人の年輪は、顔、物腰、言動に自ずと現れる。人の子が人と成るには、手間暇がかかる。蛙の子は放って置いても蛙に成るが、人の子は、愛情を注ぎ、世話をやかないと人と成らない。そのための、時間と労力が必要となる。古来、子の養育は、各家庭に於いて、母子、父子が「時間を共有」し、マンツーマンで行われて来た。家族が同じ屋根の下で暮らしていても、相互に「時間を共有」していなければ、家庭とは言えない。子育てにおける、親の手抜きは、子のその後の人生、対人関係や人生観、に相応の影響を及ぼす。家庭を離れた後も人は、良き友、良き伴侶、良き師を、「時間を共有する」ために探し求める。良き出会いが得られるかどうかは縁次第であるが、探し求めないことには何も得られない。縁なき衆生は度し難しである。社会に存在する様々なコミュニティ―は、もとはと言えば、人と人が「時間を共有する」場であったはずである。知らない人間同士が出合い、心を許しあえるような間柄になるためには、かなりの「共有する時間」が必要である。人の本性は容易に変わらず「意識の壁」は頑強であるが、辛抱強く「共有する時間」を持ち続けることで、岩に水が穴を穿つように心が通じ、あるとき予期せず、事態が好転することがある。時を経て機が熟したためであろう。(cf.仏陀・孔子と弟子達)

〔22〕(2014.11.12) ~「運」について~

人生に運は付き物である。運の良し悪しが人生に少なからぬ影響を及ぼしている模様である。果報は寝て待て、待てば海路の日和あり、などという諺があるが、因果応報、運も実力の内、などと言われたりもする。また、運は、ひとが運んで来るのだと言う人もいる。人は人の世に生きている。したがって、運が無いとは、縁に恵まれていないということでもある。縁のあるなしは、心がけ次第のような気がする。人に思い遣りを持ち、心を広く保つことで、縁は増えるに違いない。情けは人の為ならずとは、このことを意味しているように思われる。また、運は付き物、離れ物でもあり、それを生かせなければ何にもならない。好事魔多しとも言う。しかも、人生良い時ばかりある訳ではなく、逆境の憂き目に逢うこともある。禍を転じて福にする、前向きな姿勢も必要である。英語に、happiness in disguise(姿を変えた幸福)という言葉があるが、まさに、塞翁が馬のことである。宝くじに当たるかどうかは、「つき」次第であるが、当たったから良いとばかりは言えない。金で身を滅ぼすこともある。長い目で、運の良い人、縁に恵まれている人を見ていて気付くのは、素直で、謙虚なことである。これは、今時の大人には得難い美質で、子供でも稀かも知れない。近頃は、childlikeな(子供らしい)子供が少なくなり、childishな(子供じみた)大人ばかりである。ひとの事はともかく、私としては、遅ればせながら、素直に、謙虚に余生を送ろうと思っている。晩年運の良きことを願いつつ。

〔23〕(2014.11.13) ~あとがきに代えて~

「続・覚書」は副題の通り、「覚書」で言い残した事、説明不足と思われる処を、補完する為に、書き綴ったものである。意識論を核として、若い頃の思索の跡を辿り、現時点の考察を加えたものである点は、「覚書」の趣旨と変わりは無い。「覚書」の小冊子は、試しに100部程作成し、身内や友人、知人、に配らせて戴き、様々な反応、御意見を頂戴した。全く反応が無かった方も少数ではあるがいたことも事実であるが、概ね、好意的な感想を賜り、有難く思っている。なかでも、嬉しかったのは、2歳年上の兄に、意とするところを汲み取り、的確に評価して貰えたことである。「続・覚書」を書く気になったのも、兄の励ましの御蔭である。したがって、この「続・覚書」は、私の良き理解者である、わが兄に捧げたい。