目次

〔01〕(2017.05.13) ~メモ~

「出家遁世」「遁世僧」の存在意義が無くなった現在、「在俗遁世」「遁世俗」を考えて見る必要がある。
人々は、世間の評価を基に、相手との距離を量り、憧憬、羨望、嫉妬などの感情を抱いているが、真の人間的評価に基づき、見直すべきである。
パスカル、アンリ・ベルグソン、ミッシェル・ド・モンテーニュ、良寛、の言動を再考すること。
「啓示」「悟り」により、『真実』に覚醒した歴史上の人物の、覚醒の内実を比較検討して見る事。

〔02〕(2017.06.04) ~シンギュラリティー~

近々訪れると言われる、シンギュラリティ―について。α碁の開発の成功から、GoogleでAI開発の総指揮をとり、大脳新皮質をコンピューターシミュレーションしようという「Neocortex Simulator」に取り組んでいる、シンギュラリティ―の提唱者、レイ・カーツワイル(Ray Kurzweil, 1948年2月12日生 .アメリカ合衆国の発明家、実業家、フューチャリスト。本名はレイモンド・カーツワイルRaymond Kurzweil)は、遅くとも、2045年には、人類は、シンギュラリティ―に直面するという。AIはウイナーのサイバネティックス、フラーのシナジェティクス(synergetics)、エフェメラリゼーション(ephemeralization)を経て、今日の進歩に到った。翻って考えて見ると、人類が、核兵器、原子力発電などの制御不能な技術を手にした時点で、既に、シンギュラリティ―は、始まっていたのかも知れない。

〔03〕(2017.08.31) ~危機的状況~

今や、時代そのものが時代遅れであり、時代錯誤である。時代、世間に迎合せずに生きねばならない。世間の歓心を買わないよう、努めねばならない。
ソクラテス、仏陀、孔子、イエス、聖フランチェスコ、パスカル、モンテーニュ、等のモラリストの末裔は、絶滅危惧種である。すでに、まともな人類は、地球上に存在しないのかも知れない。

〔04〕(2017.09.04) ~北朝鮮問題~

昨日、北朝鮮は、6回目の核実験を強行した。アメリカは、軍事的圧力を強化すると警告している。このところ、キム・ジョンウンの対アメリカに対する、軍事的挑発はエスカレートし続けている。(独裁体制維持の必要に迫られてか、アメリカの経済制裁に誘導されてか、軍事的挑発をせざるを得なくなっているのかも知れない。)その為、アメリカの対抗手段の選択肢は限られてきている。現状、対話による解決の可能性は皆無と言ってよい。年内か、遅くとも年明けには、アメリカによる軍事的プレゼンスが行使されると考えざるをえず、日本も相応の分担を強いられるものと思われる。中国の影響力は当てに出来ず、習近平体制も信用を損なう結果となるであろう。ロシアのプーチンの思惑も当てが外れることになるかも知れない。

〔05〕(2017.09.09) ~賢明な生き方~

金銭乞食、権力乞食、名声乞食、等、が蔓延(はびこ)っている。人間は言動、人生を観れば、何に対して主たる欲求を持っているか判る。欲望は欠乏の裏返しであり、貧しさを露呈している。豊かで、自足している者は、求めず、与え、世俗的欲望に捉われない。

〔06〕(2017.09.12) ~地球存亡の危機~

ホーキング博士の未来予測が、2017年6月15日のBBC放送のドキュメンタリー番組『新たな地球を求めての旅立ち』で紹介され、世界各国で大きな反響を呼んだ。これまで、同博士は「人類の未来はあと1000年で終焉を迎える」との見通しを語っていた。ところが、この予測を全面的に見直した結果、「人類に残された時間は、せいぜい100年しかない」と軌道修正。なんと、900年も人類の未来を大幅にカットしてしまったのだ。ホーキング博士曰く「人類は急いで別の惑星に移住することを考え、実行しなければならない。地球は生物が生存するにはあまりにも危険が大きくなり過ぎた」。2度の世界大戦は言うまでもなく、個人レベルでも地域間でも、些細ないざこざから流血騒動、そして人種や宗教が絡まり、紛争やテロが絶えない有様だ。こうした状況に加えて、人類が自ら首を絞めるような行為を重ねた結果、「地球温暖化」という脅威が出現した。トランプ大統領は「地球温暖化はフェイクニュースだ。そんなものは存在しない」と見得を切ったが、テキサス州を襲った前代未聞の大洪水やフロリダ州やカリブ海を飲み込むようなハリケーンは紛れもなく、温暖化のなせる業であった。「知の巨人」と異名を取るホーキング博士が、この期に及んで、人類の未来を900年も短く予測せざるを得なくなったのは、偶然ではないだろう。昨年末からこの半年ほどの間に起った事態に原因があるということだ。そして、その最たるものが北朝鮮の地下核実験やミサイル発射である。トランプ大統領と金正恩委員長との「言葉のミサイル」が本物の核弾頭の撃ち合いになる可能性が高い、ということだ。私もまた、このところ、ホーキング博士同様、人類の未来を憂慮し、暗々たる日々を過ごしている。

〔07〕(2017.12.06) ~AIについて~

昨日、将棋の竜王戦7番勝負第5局が行われ、羽生挑戦者が渡辺竜王に4勝1敗で勝利し、竜王位を奪還すると共に、永世竜王資格を得、同時に永世7冠を達成した。実に47歳2カ月での快挙であり、タイトル獲得数を99とした。TVやネットのニュースでも報じられ、インタビューも行われた。そのなかで、羽生永世7冠は、将棋は日進月歩で、ついて行くのが大変である。将棋が分かっているかどうか不明であり、理解すべく努力していきたい。将棋はテクノロジーであり、日々進歩しており、過去の実績に依存していては、駄目である。といった趣旨の発言をしており、若干の違和感を覚えた。たぶん、羽生永世七冠は、将棋というゲームと、そのゲームをマスターしたAIというテクノロジーを混同しているように思われる。彼は若かりし頃、将棋は、ゲームに過ぎないと公言していたようであり、その方が、正解であったように思われる。何れにせよ、将棋という文化が、人工知能という文明にとって代わられたことは確かなようである。

〔08〕(2017.12.10) ~最高額の絵画~

絵画として史上最高の約4億5千万ドル(約510億円)で落札されたレオナルド・ダビンチのキリスト画「サルバトール・ムンディ(救世主)」について、米紙ニューヨーク・タイムズ(NYT)は6日、落札者はサウジアラビアの王族だったと報じた。アラブ首長国連邦(UAE)にあるルーブル美術館アブダビ分館はこの日、「サルバトール・ムンディがやってくる」とツイートし、同館で収蔵・展示されるとみられる。NYTが関連資料をもとに報じたところによると、落札者はサウジのバデル王子。約5千人いる王子の1人で、美術品の収集家として目立った経歴はなく、詳しい資金の出どころも不明としている。サウジは汚職などを理由に王族らを一斉摘発しているが、この動きを主導するムハンマド皇太子とバデル王子は友人関係にあるとされる。またムハンマド皇太子と、アブダビの王族も親しい関係にあるという。サルバトール・ムンディは1500年ごろの作とされ、「男性版のモナリザ」とも呼ばれる。11月に米ニューヨークで競売にかけられた。競売を主催したクリスティーズは落札者を明かしてこなかった。

〔09〕(2017.12.14) ~新聞の役割~

紙の新聞はいずれ姿を消すであろう。日本では、同時に新聞販売店も無くなることになる。コミニュケイションやメディアの媒体は日々変化しており、新聞産業もその役割を譲る日が訪れることは間違いない。問題は、新聞と言う文化を生み、育んだ精神がどのように受け継がれていくかである。残念ながら、ジャーナリズムの精神はすでに廃れて久しい。中身の無い、紙の新聞の消滅を嘆く謂われも無い。

〔10〕(2018.01.03) ~ヒトの見方~

「人間とは何か」という問いは、本質論的であり、実存主義的ではない。「人間は誕生以来、どう変化し、今後、どう変化すべきか」と問うべきである。

〔11〕(2018.01.28) ~未来志向~

戦争や人種差別などを批判し、反省することは必要であるが、その教訓を今後に活かすことが肝要である。過去は変えられないが、未来は改善の余地がある。

〔12〕(2018.02.03) ~夜郎自大~

人間は、仮令どれ程偉大な人物であろうと、脆弱で、不完全で、非力な存在である。誰もが歴史的状況に翻弄されて生きて来たし、これからも、世情に左右されずに人生を全うすることは出来ない。しばしば人は、困難な状況を生き延びたり、特異な体験をしたり、人々から特別視されたりすると、自身を過大評価し、究極の真理を体得したかの様な幻想を抱く。この事は、残念ながら、所謂『聖人』達にも当て嵌まる。最も肝心なことは、運を過信せず、謙虚に生きることである。

〔13〕(2018.02,04) ~『奇蹟の脳』~

脳神経科学者のジル・ボルト・テイラー(1959年~)は、37歳で脳卒中で倒れ、その8年後、奇蹟的な回復を遂げ、その体験を著書『奇蹟の脳』で発表し、2008年にはタイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれている。嘗て、脳細胞は修復困難であるとされていたが、今日では脳の可塑性は医学的にも実証されている。ただし、当人の回復への意欲を始めとする個体差に回復状況が左右されることも事実である。私も5年前、延髄の脳梗塞で2週間入院し、左半身の感覚麻痺を患ったが、今では、日常生活に支障の無い状態まで回復している。テイラー博士は、脳卒中で倒れた際の不思議な感覚を「涅槃」という言葉で言い表している。『奇蹟の脳』かも知れないが、「涅槃」と呼ぶのは、美化し過ぎであるように思われる。同様に「無」「空」などの仏教用語も乱用されているように思われる。「無」「空」「涅槃」「悟り」といった精神状態、意識状態がどういうものであるか、明快に説明されているのを、私は寡聞にして知らない。

〔14〕(2018.02.05) ~如来と菩薩~

悟りを開いた存在を如来、悟りを開く為に修行中の者を菩薩であるといわれている。釈迦如来を除いては、如来は理想化された架空の存在である。釈迦如来と言われるゴ―タマ・シッダールタも、悟りを開き、如来と成ったかどうかは実のところ不明である。青年期の釈迦がモデルと謂われる菩薩達の主たる役割は、衆生の救済である。菩薩道とは、人々を慈しみ、人々の悩みを理解し、人々に寄り添い、労苦を分かち合って生きることである。これを実践出来るものが菩薩であり、如来でさえもある。イエス・キリストも菩薩であったと言えよう。悟りに至る道は、菩薩道より他に有り得ない。

〔15〕(2018.02.24) ~省みると~

私が幸いだったのは、十代後半に決定的意識体験をしたことも然ることながら、この体験を実生活での様々な人々との交流に活かしつつ実証することに没頭し、文学作品など、世俗的目的に利用しようと試みなかったことである。世間の人々とのやり取りに忙しく、楽しかっただけの事かも知れないが。
新聞社の今日の体たらくは、再販制度維持のために、特定の政党と癒着した事と、販売網を支配下に置く為に、専売制に固執したことである。これ等の弊害により、新聞自体の質が低下し、販売網をも弱体化させる結果となった。武野 武治(1915年1月2日2016年8月21日)は、 1945年(昭和20年)8月15日、太平洋戦争の戦意高揚に関与した責任をとり、朝日新聞を退社した。

〔16〕(2018.02.25) ~人類『進化』論~

『チャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin ([tʃɑrlz ‘dɑː.wɪn]), 1809年2月12日 – 1882年4月19日)は、イギリスの自然科学者。卓越した地質学者・生物学者で、種の形成理論を構築。全ての生物種が共通の祖先から長い時間をかけて、彼が自然選択と呼んだプロセスを通して進化したことを明らかにした。進化の事実は存命中に科学界と一般大衆に受け入れられた一方で、自然選択の理論が進化の主要な原動力と見なされるようになったのは1930年代であり、自然選択説は現在でも進化生物学の基盤の一つである。また彼の科学的な発見は修正を施されながら生物多様性に一貫した理論的説明を与え、現代生物学の根幹をなしている。進化論の提唱の功績から今日では生物学者と一般的に見なされる傾向にあるが、自身は存命中に地質学者を名乗っており、現代の学界でも地質学者であるという認識が確立している。』以上は、ウィキペディアによるダーウィンの紹介記事である。人類もまた地球上の生物種である以上、ダーウィンの自然選択の理論の例外ではないと考えるのが自然である。本当にそうであるのか、自然選択の理論が適用されるのは、人類が人類に成るまでであると限定して考えるべきである、と私は考えている。人類が人類に成ってからは、自然選択とは別に、『人工選択』とも言うべき変化のドライブに人類は晒されていると認識すべきである。かつて、7千あった言語が、『人工淘汰』により、今や数百に減少している。これは、まさに文明による文化の衰退を象徴する現実である。ダーウィンは、1859年の著書『種の起源』で、自然の多様性のもっとも有力な科学的説明として進化の理論を確立した。その後の著書『人間の由来と性に関連した選択』、続く『人及び動物の表情について』では、人類の進化と性選択について論じた。しかし、自然と文化の多様性が失われつつある今日の地球の現状をみると、もはや、現在に至る人類の変化は、ダーウィンの進化論では理解不能なものになっている。

〔17〕(2018.02.25) ~喫煙具としてのパイプ~

パイプとの付き合いは、かれこれ50年程に成る。パイプ喫煙の愛好者には、ゴッホ、アインシュタイン、ユング、サルトル、開高健などの著名なクリエーターが多いが、彼らの創造活動にパイプ喫煙は、多大な寄与をしていたと思われる。半世紀に亙る、100本以上のパイプとの付き合いから、パイプについての私なりの考えを総括しておきたい。パイプは、煙草を美味しく、心地よく喫煙するための道具であり、使うほどに味わい深くなるものが名器である。パイプ・メーカーやパイプ作家は煙草を美味く吸うために腐心してきた。ピーターソンはピーターソン・システムを考案、ジュース溜まりを造ることでドライな喫煙を可能にしようとしたが、溜まったジュースの処理がやっかいなことから私は推奨できない。キャラバッシュ・パイプは、火皿とボウルの間に煙を通す空気の層を設けることで、クールな喫煙を実現したが、嵩が張り、持ち運びが不便である。同様の構造を陶磁器で試みたものも存在するが、割れたり、罅が入りやすいと云う欠点がある。多孔質のメシャム・パイプについても、同じようなリスクが付き纏う。丈夫で経年変化を楽しめる為、今日、主たるパイプ素材となっているブライヤー・パイプ製作において、クールでドライな喫煙を実現する為、シャンクやステムの材質、煙道の形状・長さを変えるなど、これまで様々な工夫が行われたが、(キセルに倣ったものと思われる、竹製のシャンク以外)これといった決め手は見つかっておらず、職人の経験と勘に頼っているのが実情である。最も合理的な解決法ではないかと思わせたのは、ダボ穴に空気溜まりを造る方法である。イタリアの新鋭パイプ・メーカーが考案して世に出したものであったが、出色の出来で、今でも愛用している1本である。だが残念なことに、この構造のパイプは、直に生産中止となり、普通の構造のパイプになってしまった。おそらくダボ穴に空気溜まりを造るため、その部分のシャンクを薄く作る必要があり、その作業が大変であったからであると思われる。私が敬愛するパイプ作家、柳原重義氏は、シャンクに水牛の角を使い、ダボを短くすることで空気溜まりが出来るように工夫しており、彼の作品は、私が最も信頼し、愛用するパイプである。一見普通の構造であるが、その作者のパイプが不思議と素晴らしい喫味をもたらしてくれるパイプ作家もいる。日本のパイプ・メーカーのオーナー、深代勉氏である。おそらく、ダボと煙道に独自の工夫があるものと思われるが、私が最もながく愛用しているパイプは、彼にオーダーして造って頂いたものである。

追記:竹製のシャンクのパイプについて補足すると、いくら細く、長く、節の多い竹を使っても、ダボとダボ穴の繋ぎに、金属の管を使うと、味が落ちてしまう。日本におけるパイプ修理の数少ないエキスパート、佐藤純雄氏の創作パイプは、透明な漆を塗るなど、独自の工夫が施されているが、竹のシャンクの場合も、マウスピースとシャンクをマウスピースと同素材の、エボナイトで繋ぎ、金属管は使っていない。ちなみに佐藤氏の竹のシャンクのパイプも私の愛用の1本である。なお、クレイ・パイプやコーン・パイプは、経年使用に耐えない使い捨てパイプであり、クレイやコーンの臭いが煙草の香りを損なうなどの欠陥があるため、ここでは、敢えて触れていない。

〔18〕(2018.02.28) ~ウィキペディアから~

久しぶりに、ウィキペディアでシンギュラリティ―の項目を見たところ、大幅に記述が増えていて驚かされた。この度、現時点での一般的見解を確認する意味で、私の今後の研究課題に関し、ウィキペディアで掲載されている項目(シンギュラリティ、モラル・ハザード、悟り)に、再度、目を通してみた。以下は、その読後感である。
シンギュラリティ―について言えば、何のためにコンピューターを使って、人類の知的レベルアップを計るのか明確でない点が私には不可解かつ不愉快である。さらには、指数関数的に進歩している技術革新に比して、総体としての人類の生活、および環境が悪化しているのは何故なのか、危機意識の欠片も感じられない。人類は産業革命以来、200年に亙り地球環境を悪化させ、人心の荒廃を招いてきた結果、現在、多くの解決困難な課題に直面しており、高度な人工知能の出現によって、これ等の問題が一挙に、直ちに解決するとは到底思えない。そもそも、人間の脳の解明が緒に付いたばかりの現在、どうして人間を越える能力を持つ機械が出現すると、安易に予測できるのか。芸術や文化の何たるかを分かりもしない者が、何故シンギュラリティ―によって、芸術や文化が飛躍的に発展すると言い切れるのか。シンギュラリティ―は2045年には訪れるそうであるが、その頃には、私はこの世にいないし、だからといって残念だとも思わない。私が見るところ、杜撰な開発者が経済的野心を抱いて何を開発しようと、碌なことにはならないと思われる。

次に悟りについてであるが、古来より宗教経典で言われていることをなぞっているだけで、現時点における研究成果が全く見られず、そもそも何のために今日まで、人が悟りを求めてきたのか何も触れられておらず、悟りを得た者は、どう変わるのかも不明である。また、どうしたら人類全体を覚醒に導き、正しい現状認識を共有させることが出来るのか、真剣に考えている気配も見られない。
モラルハザードに関しては、言葉の説明だけで、相互の信頼を取り戻し、これをどうクリア―すべきか、解決策に関する言及は皆無である。 余談であるが、悟りに関するウィキペディアの項目の中に、興味深い記述があったので紹介しておきたい。キリスト教の悟りの説明箇所に、何も説明文が無く、「仏教者鈴木大拙はイエスを妙好人と考証している。」という記載が見つかった。ちなみに、妙好人とは、ウィキペディアの説明によると、以下の様な人物の事である。無論、鈴木大拙のキリスト評は、的外れと言ってよいが、思わぬ拾いものをした気分である。
妙好人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「妙好人(みょうこうにん)とは、浄土教の篤信者、特に浄土真宗の在俗の篤信者を指す語である。語源は、善導の『観無量寿経疏』散善義において、念仏者を以下の文言で賞賛したことにより、もともとは念仏者・浄土願生者を指す語である。
「明若能相続念仏者 此人甚為希有 更無物可以方之 故引分陀利為喩 言分陀利者 名人中好華 亦名希有華 亦名人中上上華 亦名人中妙好華 此華相伝名蔡華是 若念仏者 即是人中好人 人中妙好人 人中上上人 人中希有人 人中最勝人也」
(訓読 – もしよく相続して念仏するものは、この人はなはだ希有なりとなす、さらに物としてもつてこれに方ぶべきなし。ゆゑに分陀利を引きて喩へとなすことを明かす。「分陀利」といふは、人中の好華と名づけ、また希有華と名づけ、また人中の上上華と名づけ、また人中の妙好華と名づく。この華相伝して蔡華と名づくるこれなり。もし念仏するものは、すなはちこれ人中の好人なり、人中の妙好人なり、人中の上上人なり、人中の希有人なり、人中の最勝人なり。)
在俗の篤信者の語意として使われるようになったのは、1753年に編纂された、石見国浄泉寺(島根県邑南町市木)の僧侶・仰誓(履善の父)が編纂した『新聞妙好人伝』からである。以後、全国で布教し寄進を募り西本願寺教団の財政を立て直したことで知られる僧純の編集した『妙好人伝』五編(1842年・天保13、一編は『新聞妙好人伝』の再編)とつづき、江戸期から明治初期にかけて何篇かの妙好人伝が編まれた。
妙好人を最初に取り上げた知識人は、禅の研究者、鈴木大拙であった。その後、思想家の柳宗悦が鳥取県を対象としたフィールドワークを纏めて『妙好人 因幡の源左』を発表し、一般に妙好人という概念が広く知られる事となった。また、小説家の司馬遼太郎は、紀行文集『街道をゆく』「因幡・伯耆のみち」において妙好人に触れ、日常の瑣末のことがらにまで仏教的な悟りに似た境地にある一般人を指すと言い、また同時に歴史的存在であるとも述べている。
妙好人は、もっぱらその言行をもって周囲から尊称された人物とも言える。江戸~明治期において市井に生きる人々の言葉が後世に残る事は稀であり、メディアが急速に発達した近代~現代の人物を妙好人と評するに議論が分かれる論拠となる。
妙好人とされる主な人物
・赤尾の道宗(?-1516年)
・因幡の源左(足利喜三郎、1842年-1930年)
・石見の才市(浅原才市、1851年-1932年)
・有福の善太郎(1782年-1856年)
・讃岐の庄松(1799年-1871年)
・六連島のお軽(1801年-1857年)」
老境にある私としては、「キリストに倣いて」などという、大それたことは考えたこともないし、いまさら磔の憂き目にも遇いたくないが、妙好人のような生き方であれば、市井の片隅で、ひっそりと実践していければと思っている。

〔19〕(2018.03.09) ~「文化と文明」再考~

以前、私は、「文化」は最小公倍数としての人間によって創造され、「文明」は最大公約数としての人間を対象として発展してきたと述べたが、この考えは、今日ではもはや、当てはまらなくなっているようである。シンギュラリティ―に象徴される、昨今のAIを中心とする、「文明」の『進化』の動向を見ると、「文化」という精神的価値の創造から、「文明」による現世利益の追求に宗旨替えした、最小公倍数としての人間が、自らの世俗的成功の為に、その発展を目論んでいるように思えてならない。「文化」を母体として生まれ、「市場経済」と共に発展し、人類に自由と平等を齎すという幻想を抱かせた「文明」は、高度資本主義社会と称される現在、少数支配による格差社会、監視社会という、悪夢を現出するものに変貌しつつあるようである。一方で、 自然との共存と博愛精神の実現を目指す「文化」は、自然と共に、その多様性を失い、活力を失いつつあるように思われる。自然にも、市場経済にも無頓着な、非現実的な『最大公倍数』としての『文明』の盲信者たちは、いずれ、その短絡的、閉鎖的で孤立的な手法を、『自然の複雑な多様性、市場経済の自由な開放性』等と対峙し、改めざるを得なくなる事と、予想されるが、そのときに、現在進行中の人類の危機的状態がもはや、修復困難な状況になっていないことを、祈るばかりである。

〔20〕(2018.03.11) ~続・北朝鮮問題~

「訪米した韓国大統領府の鄭義溶(チョンウィヨン)国家安保室長は8日(日本時間9日午前)、トランプ米大統領が北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長からの要請を受け入れ、5月までに米朝首脳会談に応じる意向を示したことを明らかにした。ホワイトハウス内でトランプ氏との会談後、記者団に語った。トランプ氏もツイッターで米朝首脳会談が計画されていることを認めた。実現すれば初の米朝首脳会談となる。核・ミサイル問題を巡り対立を深めていた両国が歩み寄りを見せた形だ。4月末に予定されている南北首脳会談とあわせて、行き詰まっていた北朝鮮問題が動き出す可能性が出てきた。鄭氏の説明によると、金委員長は鄭氏らに対し、非核化に取り組む考えを表明。今後、核実験や弾道ミサイル試射の凍結を約束した。これまで中止を求めてきた米韓合同軍事演習にも理解を示した。その上で、金委員長は、トランプ氏とできるだけ早い段階で会談したい意向を伝えたという。」
上記のニュースが3月9日にネットを通じて報じられ、世界を驚かせた。世界は最悪の危機が回避される見通しとなったことに安堵し、歓迎している様子で、株価も上昇した。北朝鮮に対する圧力が功を奏したという見方もあるが、金正恩の思惑通りに成ったとも言える。日米韓は、今後、非核化に向けた枠組みとプロセスを作成し、実現を目指し、作業を進めていくことになりそうである。イラクのフセイン政権が、核開発を行っているのではないかと疑われ、アメリカに軍事制裁を受け、崩壊した事を考えると、金正恩は大成功を収めたと言ってもよい。仮に、北朝鮮の非核化が実現しても、ほぼ完成に近づいていた核兵器製造のノウハウと技術は、保持したままであり、非民主的で人権を無視した金正恩の独裁体制も存続することに成る。周辺国も世界の国々も、とりあえず危機的状況が無くなれば、北朝鮮の人々が圧政下で苦しんでいても、構わないということであろうか。それは、国内問題であり、北朝鮮の人民が解決する問題であるといって、放置して置いて良いということであろうか。北朝鮮問題の本質はここにあり、核兵器の開発に目を奪われて、北朝鮮の人権問題を等閑しているとすれば問題である。北朝鮮問題は、非核化が実現すれば解決する問題では無いことを、忘れてはならない。

〔21〕(2018.03.12) ~自意識喪失が齎す覚醒~

断片的に書き継いできた意識論の中で、自意識が後発的なものであり、自意識イコール意識ではないと、私論を述べたことがあったが、ここで、一時的自意識喪失が齎す覚醒状態について触れて置きたい。脳梗塞などを疾患した際や、深い瞑想状態のなかで、一時的にではあるが、自意識の喪失状態に陥り、涅槃的意識状態を体験し、事後、覚醒・解悟の経験をしたとの確信を抱くことがある。仮に、自意識が本来、意識界全体とイコールであることを認識することが、真の覚醒であり、悟りであるとすれば、一時的自己喪失状態が齎す覚醒状態は、一種の錯覚であると言わざるを得ない。人類の自意識は、実社会で生きていく必要から、自己防衛・自己保存の本能が強化され、利己心をも生み出した。その弊害を除去すべく、仏教は利他行を説いている。また、利他行により、悟りに到り、成仏できるとも言われる。キリスト教の博愛思想も、他者に善行を為すことで、神の国に迎えられると教示している。仏教・キリスト教・等は、人類のモラル意識の形成に、多大な寄与をしたが、現在、仏教・キリスト教を始めとする宗教の影響力は弱まり、人類のモラル意識も低下している。仏教の「菩提」、キリスト教の「悔悛」などを検証し直すとともに、宗教とは別の、覚醒手段、モラルを創造し維持する為の方法、を模索する時期に来ているように思われる。

〔22〕(2018.03.13) ~「Uplift」再び~

有限会社(YK、ゆうげんがいしゃ)は、日本において過去に設立が認められていた会社形態の1つであるが、2006年(平成18年)5月1日の会社法施行に伴い根拠法の有限会社法が廃止され、それ以降、有限会社の新設はできなくなった。2006年(平成18年)5月1日の会社法施行以前に設立された有限会社は、同法施行後もなお基本的には従前の例によるものとされる株式会社、特例有限会社(とくれいゆうげんがいしゃ)として残された。商号の中に「株式会社」ではなく「有限会社」の文字を用いなければならなかったが、役員任期に関する法定の制限はなく、また決算の公告義務もないというメリットがあった。私は、有限会社法が廃止される直前の2006年の春、「アップ・リフト」と謂う有限会社を立ち上げ、新聞販売店事業と付帯事業(広告代理店業、宅配業、人材派遣業、等)の事業主を、個人から法人に移行した。「アップ・リフト」の名称は、英語の「Uplift」をカタカナ表記したものである。「Uplift」には、動詞として、(社会的・文化的・道徳的に)…を高める,高揚させる 、名詞として、(社会的・知的・道徳的な)向上(運動)、と謂う語意がある。また、隠語的語意として、女性のバストの引き上げ、ブラジャーを意味する場合もあるが、このことも、遊び心があり、私は気に入っていた。なお、「Uplifter」という派生語があり、社会的向上に献身する人,社会事業家、という名詞である。「アップ・リフト」の事業によって、看板通り、社員および関係する人々の、(社会的・知的・道徳的な)向上に役立ったかどうかについては自信が無いが、実生活のレベルアップには、ある程度は貢献したと自負している。「アップ・リフト」は,仕事を引退した際、登記を抹消したが、今度こそ「Uplift」の名に恥じない活動を、ボランティアとして実践してゆければと思っている。

〔23〕(2018.03.21) ~続・省みると~

私が十代の青少年期には、スマホもパソコンもなく、情報、知識、教養は、ラジオ、TV、新聞、雑誌、書籍、等から得るしかなかった。当時、一生という有限な期間に、人生の意義を見出すために、有史以来の、膨大な人類の知の集積から、何を選択し、如何に理解したら良いか途方に暮れていた。取敢えず、寸暇を惜しんで古典を読み、書店通いをして、気になる新刊書に目を通した。その頃は、(現在も変わらず)世の中の流行に無頓着であった。今もって、芸能界、サブカルチャーには、疎い儘である。読書に疲れると、近くの森を散歩し、ルソーの「孤独な散歩者の夢想」ではないが、読書に触発された思考や夢想に耽っていた。その際、欠かさず観に行っていた欅の老木を眺めていたとき、幸運にも偶然、ものの見方、感じ方を一変させる意識体験をすることが出来た。当初、この体験が、一過性のものに過ぎないのではないかと疑ったが、様々な検証の結果、そうでは無いことが判明した。たとえば、詩人や作家が描いているヴィジョンに関して、半信半疑であったが、作者の意識の象徴であると、観取することが出来るようになった。リルケの「マルテの手記」やオーデンの詩が、はっきりと理解できるようにもなった。実証実験を繰り返していくうちに、あらゆるものの、感じ方、見方、理解の仕方に、意識がかかわっていることを確信し、しかも、人によって意識が違っており、人はそれぞれ固有の意識世界に生きており、それゆえ相互理解に齟齬が生ずることも納得できた。私は、とりあえず、求めていたものを手中にし、安堵したが、それが、実生活や実社会でも通用するかどうか、どれ程、有効かどうかについては、まだ自信が持てなかった。二十代の始め、意を決して、私は家出をし、世の中に旅立った。今から振り返って、この決断に後悔はない。また、幸運にも、今日まで、(周囲の人々の苦境を思い煩うことは、多々あったが)、経済的にも、人間関係においても、自身の事で苦労した記憶もない。三十代の始め、三年程、再び書物の世界に没頭したことはあったが、それ以外は、実生活、実社会での人々との交流を通じて、私は、多くを学び、ライフワークである『意識研究』を進めることが出来た。私が幸いだったのは、パソコンやスマホの普及は、私が四十代後半以降になってからであり、その頃までは、人々が今よりオープンで「フェイス・ツウ・フェイス」で人間的交流を深める機会が多かったことである。二十一世紀になって、「文明」の進化が、急にスピードアップし、人々はその変化について行くのがやっと、といった様子である。スマホのチェックに余念の無い、街ゆく人々を見ると、スマホを使っているのか、逆にスマホに使われているのか分らない気がしてしまう。「文明」が進歩し、便利な世の中になり、余暇が増え、人々はゆっくり人と交流する時間を楽しんでもよさそうであるが、逆に時間に追われ、慌ただしく生活している。「文明」の進歩が良くないと言っているのではない。インターネットは、リアルタイムの情報も、過去の事柄も、簡単に検索し、知ることを可能にし、衆知を集めた百科事典の役割も果たしている。医学の進歩も目を見張るものが有り、平均寿命は延びる一方である。私が、仕事を引退後、「覚書」を本に纏めることが出来たのは、パソコンの御蔭であり、心不全を患い、一命を取り留めたのは、カテーテル手術の進歩の賜物である。私が言いたいのは、「文明」の進歩に見合う、「意識」の進化が見られないことである。人類が進歩した「文明」を使いこなし、情報を選別し、時代の集合意識を看取する、賢明さを持ち合わせていないことである。将棋、囲碁の世界では、今や、人間はAIにかなわない。プロの対局中に、AIが刻々と優劣を判定してしまうようにさえなっている。将棋の実力制第四代名人、升田 幸三(1918年3月21日 – 1991年4月5日)は、既成の定跡にとらわれず「新手一生」を掲げ、序盤でのイノベーションを数多く行った。振り飛車・居飛車共に数々の新手を指し、「将棋というゲームに寿命があるなら、その寿命を300年縮めた男」と評された。今日、AIは、瞬く間に「新手を量産」し、将棋という人間のゲームの寿命に終止符を打ってしまった。人間が築いて来た「将棋文化」が、AIの「将棋文明」にとって代わられてしまったのである。「将棋」「囲碁」といった、限定的なゲームの寿命に終止符を打った「文明」も、宇宙研究には手こずっているもようで、研究が進むほど、未知の領域が増えている。宇宙の質量とエネルギーの、総体に占める割合は、原子等の通常の物質が4.9%、ダークマタ―が26.8%、ダークエネルギーが68.3%と算定されている。ダークエネルギーの実態は、まだ明らかにされていないが、現在の膨張宇宙の維持に、ダークエネルギーの存在が不可欠であることから、謂わば逆説的に存在証明が為されたものである。人間の脳の研究も、緒に就いたばかりであり、とりわけ「意識研究」は、遅々として進んでいない。脳における意識は、宇宙におけるダークエネルギーの様な存在なのかも知れない。量子力学に、未解決な観測者問題があるが、私は、此の観測者も意識のような存在かも知れないと秘かに思っている。

〔24〕(2018.03.22) ~続・ウィキペディアから~

「意識研究」の現状を確認する為、「ウィキペディア」の「意識」項目を数年ぶりに、再読して見た。この数年間で、内容的には殆んど変化は見られず、「意識研究」が「宇宙研究」同様、足踏み状態で、ブレイク・スル―による、ステップ・アップが、いまだ見られないことを再確認した次第である。「意識研究」は、様々な学問分野により、様々なアプローチが為されているが、対象となる「意識」の定義自体、それぞれ異なっており、学際的研究も目立った成果は上げていない。私の「意識研究」は、哲学的なもので、主に、内観法に頼っている。「意識」の実態が、科学的に解明されていない現状では、アマチュア研究者である私には、他に手だてもない。ただし、スタンスとして、全ての学問分野の最新の科学的知見と整合するよう心掛けている。私の「意識研究」の具体的成果については、「覚書5部作」に断片的、継続的に記してあるので、ここでは割愛するとして、「生きている人間」と「生きている自然」にしか「意識」が無い以上、過去、現在、未来のあらゆる人事・自然現象に「意識」が関わっており、様々な問題の解決に、「意識」の解明がいかに重要であるかは、指摘しておきたい。「宇宙研究」は人類の、自然観、世界観に甚大な影響を与えるものであるが、「宇宙」は、刻々と膨張しており、「宇宙研究」における観測技術の開発は、時間との競争でもある。「意識研究」の場合は、意識の急激な進化が見られない限り、この様な心配はない。ただし、「意識」を「意識」で探求する際には、探求する我々の「意識」の退化のほうが心配であり、「意識研究」には、量子力学とは別の「観測者問題」が存在するかも知れない。

〔25〕(2018.03.24) ~我が師~

「あなたが師と仰ぐ人は誰か」とたまに訊かれる事があったが、いつも、これといって思い浮かばない、と答える事にしていた。心中秘かに師と仰いでいる者はいるのだが、変人と疑われるのが、オチだと思い、言わないでいた。この際、誤解を恐れず、告白することにする。ヘルマン・ヘッセが書いたメルヘンに、「木に憧れを抱いた少年が、魔法の力で、楽園の木と融合し一体と成ったものの、やがて、自由に変身する他の生き物と違い、木のままでいることに寂しさと孤独感を募らせ、木になったことを後悔したが、暫くして、この木に心ひかれる少女が現れ、合体し、自由に変身できるようになり、幸せな日々を過ごすことになる」という物語、「ピクトルの変身」がある。〔23〕の「続・省みると」に記したように、私にも忘れられない木があり、十代後半、『晴耕雨読』の日々を送っていた私は、読書に疲れると、天気の良い日は、近くの森に散歩に行き、読書に触発された、思索や夢想に耽っていたが、その際、森で見つけ、好きになった、欅の老木を、欠かさず見に立ち寄っていた。ヘッセのメルヘンの木ではないが、欅が雌雄同株である事にも好感が持てた。樹齢数百年とも言われる欅の老木に、言い知れぬ親しみを覚え、思索に行き詰ると、木の根元に腰をおろし、木に寄りかかって休むこともあった。暖かな日は、暫し、うとうとし、目が覚めると、解けなかった問題の答えを見出せた事も何度かあった。欅の老木と意思が通じ合えた訳ではなかったが、何となく、心が通い合っている様な気がしていた。少なくとも、欅の老木と私とで、意識が触れ合っているのを感じた。脳組織を持たない植物も、意識を感知する事が出来る、と主張する研究者も存在するが、私はそこまで断言する気はなく、感じたままを述べているに過ぎない。欅の老木との『交感』は、かれこれ三年程に及び、その間、決定的意識体験をし、私を意識探求の道へと向かわせ、家を出て実社会に旅立つ決心をする事になったことを考えると、私の人生において、欅の老木との出会いと、交感の日々は、まさに、エポック・メイキングな出来事であった。私が、欅の老木を秘かに師と仰いでやまない所以である。また、「自照院隠徹求道清居士」と戒名し、成仏した際は、此の老木の根元に、遺灰を埋めて欲しいとも、切に願っている。

〔26〕(2018.03.25) ~芸術・文化に潜むリスク~

「職業病」とも謂うべき、ものの見方や価値観の偏りがあることは、よく知られているが、芸術家や学者や棋士など、芸術や文化をライフ・ワークとすることに伴う、偏見やリスクについて語られる事は稀である。かく言う私も、これまで、芸術・文化を擁護する一方で、負の側面については殆んど触れて来なかった。天才は別として、音楽家は楽器や楽曲を、画家は画布や画材を、物書きは言葉を、棋士は勝負の綾を、通して世界(人事と自然)を見聞きしがちであり、生きた世界と先入観なく拘わることが不得手であることが間々ある。十代半ばから二十代前半にかけて、詩を書き、詩誌に投稿していた私が、物を書くのをやめたのは、上述のリスクを避けるためであった。天才詩人、アルチュール・ランボーと中原中也は、言葉以前の世界に憧れ、言葉によって言葉以前の世界を象徴的に表現しようとしたが、豊かな才能と若さゆえの勇み足が禍し、必ずしも成功したとは言い難い。私は一先ずペンを折り、書物を捨て、徒手空拳で世の中に飛び出した。生(なま)の世界に身を置き、物語を生き、考えたことを実践して行こうと思い定めたからである。振り返って、ほぼ、目論見通りに生きて来れたし、充実した人生を送れたと思っている。私が愛する、マーク・トウェインの小説の主人公、「ハックスベリー・フィン」は、文明社会の窮屈さを嫌い、冒険的で、自由な暮らしを好んだ野生児であるが、世の中の「嘘」を嗅ぎわける嗅覚に優れていた。彼同様、私も、物事の真偽を見抜く直観力だけは自信があった。今日まで、何とか無事生きて来れたのも、運に恵まれ、この能力があったればこそと、天の配剤の妙に感謝する事しきりである。 

天才や天才的才能の持ち主は、その才能を発揮し続ける事が好きだから、成果を上げる事が出来るのだが、その逆、つまり何かをやり続ける事が好きだからと言って、才能があるとは言えない。平たく言うと、女性が好きだからモテルとは限らない。「好きこそ物の上手なれ」という諺があるが、半面の真実を述べているに過ぎない。20代半ばに家出をした当夜、好奇心から立ち寄った、鴬谷のキャバレー「スター東京」で、私は、この様なギャップから生まれる悲喜劇を目撃した。その後、働くことになった新聞販売店でも、この冷厳な真実を実証しているかの如き人々に、多数、遭遇し、同情を禁じ得なかった。幸運にも私は、「スター東京」で、「檸檬」の源氏名で勤めていた女性と知り合い、『保護』され、2週間ほど彼女のマンションに居候させてもらった。その間、彼女から「男女の機微」について教えられ、世の中に出るに当たり、その方面に疎かった私には大いに援けと成った。ここで、(例によって、ウィキペディアの援けを借り)「檸檬」が私淑していた、多才で、稀世のプレイ・ボーイとして名高い、ジャコモ・カサノヴァ(1725年4月2日 – 1798年6月4日 )について、触れておきたい。カサノヴァは、パドヴァ大学で倫理哲学、化学、数学そして法学を学び、16歳にして法学博士号を得ている。彼の自伝『我が生涯の物語』(訳題『カザノヴァ回想録』)によれば、その生涯に1,000人の女性とベッドを共にしたという。カサノヴァがその華やかな恋愛遍歴を享受し得た理由の一つは、彼が多くの同時代(18世紀)人と異なり、彼自身の快楽と同時に、その交際する異性の側の快楽に、常に注意を払っていたことにある。彼は誘惑者としてばかりでなく、誘惑されることにも喜びを見出しており、また多くの美女を同時に愛し、激しい恋愛のときが終わった後も終生、それら異性を人として敬愛し続け、親交関係を維持した。同姓との交友に関しても、同様であったという。言うまでもなく彼の最大の才能はベッドで発揮されたが、同時代人にとってのカサノヴァは、それ以外の面でも傑出した存在だった。オーストリアの大政治家シャルル・ド・リーニュは、カサノヴァを、彼の知りえたうち、最も興味深い存在であると評し「この世界に彼(カサノヴァ)が有能さを発揮できない事柄はない」とまで言っている。またランベルク伯爵は「その知識の該博さ、知性、想像力に比肩しうる者はほとんどない」と記している。カサノヴァがその生涯にわたる遍歴において知遇を得た人物には、教皇クレメンス13世、エカチェリーナ2世、フリードリヒ大王、ポンパドゥール夫人、クレビヨン(カサノヴァにフランス語を教えたともいう)、ヴォルテール、ベンジャミン・フランクリンなどがいる。カサノヴァは時に応じ、ビジネスマン、スパイ、外交官、政治家、哲学者、作家、魔術師、等として立ち働いたが、その生涯の殆どにおいて、単一の「生業」を持たず、当意即妙のウィット、幸運、社交上の魅力、そして、その対価として人々が提供する金銭で生活していた。カサノヴァは薬学にも深い関心を示し、後年、彼はその道を極めなかったことを後悔している。それでもアマチュアの薬剤師としては、熱心で優秀であった。私が彼と共通する事は、と言えば、人々や女性を理解したいと云う熱意と、生涯「正業」と言える職を持たなかったこと位であろうか。私は、学問、文学、音楽、美術、囲碁、ゴルフ、等、の愛好家ではあったが、残念ながら、どれをとっても、人並み外れた才能の持ち合わせは無かった。私の「男女関係」の師である、「檸檬」嬢から、「男女の機微」について手ほどきを受けた甲斐もなく、からきし女性にモテズ、不器用で、何の才能も、資格も無かった私からすると、ため息が出るほど端倪すべからざる人物である。

〔27〕(2018.03.26) ~広義のバイオハザード~

現在、薬学は上述のカサノバが生きていた18世紀から飛躍的に進歩し、生化学、 遺伝子工学、細胞再生医療、等と相俟って、医療技術、品種改良技術、の進化は目覚ましいものがある。食糧難の解消、人間の自然寿命および自然進化の促進を掲げ、企業は開発に凌ぎを削っている。一方で、遺伝子組み換え、などによるバイオハザードや、優生学的弊害、抗生物質等による(遺伝子にも及ぶ)人体への悪影響、を危惧する声も上がっている。人工的に自然を創造し、修復することが不可能である以上、東洋医学やホメオスタシスの観点からも、人体を含め、自然の改変には慎重を期する必要があるが、企業はモラルより経済的利益を優先しており、その実態は、企業機密の闇に包まれている。最近、話題になっているAIも、これら企業の技術革新を加速させており、シンギュラリティ問題で世間を騒がせている「グーグル」は、AIの技術を新薬の開発に応用すると広言している。この分野での、情報の不均衡によるモラルハザードこそは深刻であり、手遅れにならないうちに、抜本的改善策を衆知を集め、講じなければならない。私が、シンギュラリティ―、バイオハザード、モラルハザード、に言及するのも、この三者が現在進行中である、近い将来の人類の危機、と密接に関連しつつ拘わっている為であり、この問題の解決に当たっては、何よりも、人類が現状を認識し、個人から国民へ、国民から地球人へ、地球人から宇宙人へ、と意識を進化させ、「アップ・リフト」する必要があり、しかも、このことを、個人意識としてではなく、集合意識として、「覚る」ことが求められている。

以下に、敬愛するヘッセの水彩画を掲げ、とりあえず筆を擱く事にする。
 
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赤い家 アブストラクト 1922年