〔01〕(2021.04.29) ~百鬼夜行~

大正時代の日本を舞台に、鬼に取りつかれた妹を救出するため、鬼退治をする物語である、『鬼滅の刃』が、原作、映画ともに空前のヒットとなった。コロナ禍の現代日本社会にマッチした模様である。古来、平安の昔から、我が国では、人の心の闇が、鬼に姿を変え、人々を不安に陥れた。安倍晴明等の陰陽師が調伏に活躍した所以である。鬼が、人の心の闇を象徴するものであるとすれば、これを他人(ひと)が、退治することも、更生することも、不可能である。心の闇、すなわち、鬼、が巣食う、当の本人によってしか始末できない。私が見るところ、この問題の最善の解決策は、空海が唱導した、真言密教的手法である。すなわち、悪を自らに取り込み、善に転化することである。真言密教では、人の善悪に止まらず、宇宙に存在する森羅万象の全てを取り込み、内在化することを、究極の境地としている。主人公の、影との闘いを描いた、『ゲド戦記』(Earthsea)は、アーシュラ・K・ル=グウィンによって英語で書かれ、1968年から2001年にかけて出版されたファンタジー小説のシリーズ名であるが、この物語に感動し、ライフワークとして、翻訳を手掛けた、清水真砂子氏は、作者の「人類の希望は、偉大な人物にではなく、普通の、平凡な人々にこそ求められる。」という主張に感銘を受けたそうであるが、これは、古き、良きアメリカ社会において当てはまる、反面の真理である。大乗仏教が予言した当時から、2000年後の、末法(まっぼう)の世である、現代社会における人類の絶望への対処もまた普通の、平凡な人々にこそ求められるのである。

〔02〕(2021.05.05) ~座右名~

『意識が変われば、世界が変わる。』
『人生は、知恵と愛を求める、冒険である。
智慧と愛とは、自然と人世を正しく理解することである。』

〔03〕(2021.05.13) ~勘違い~

ヤフーニュースを閲覧していたら、以下のような記事に遭遇した。
『支持率急落
2021/1/19 09:54 (JST)1/19 10:52 (JST)updated
©株式会社長崎新聞社
長崎新聞 <HP特集>
「3人に2人」が支持する熱い期待感とともに船出した新内閣だった。ずいぶん遠い日のことのように感じられるが、ほんの4カ月前のことだ。菅義偉内閣の支持率が急落している▲〈支持率が41%まで下がり、不支持率と拮抗(きっこう)している〉という共同通信の世論調査結果が本紙に掲載されたのは11日の紙面だ。そこから1週間、全国紙やテレビ局などの先週末の調査では支持率が軒並み3割台まで低下し、不支持率と逆転している▲コロナ対策は後手後手の批判がつきまとい、国民へのメッセージの多くは原稿の棒読み。前首相の負の置き土産の「桜」や、相変わらずの「政治とカネ」は、首相個人の責任とばかりは言い難いが…▲ところで、支持率の下落傾向について先週、内閣の番頭役である加藤勝信官房長官が「支持率の推移に一喜一憂することなく、コロナ対策に全力を…」と語る場面があった。強がりを割り引いてもこの語法はおかしい▲違和感の理由ははっきりしている。〈一喜一憂せず…〉は支持率が急上昇した時に言うべき言葉だ。高い評価に浮かれることなく、しっかりと地に足を着けて-と▲現状は正反対だ。大いに憂えてもらわねばならない。猛省すべきは猛省してもらわねばならない。「危険水域」もささやかれる中、通常国会が始まった。(智)』
菅内閣の加藤官房長官の発言をどう読み解くか、記者の指摘は、当たっているのか。記者は表現のみを問題視しているが、これは、見当違いであり、もっと重要な問題を見落としている。おおよそ、人間のあらゆる表現と同じように、言葉は、意識の表明である。では、上記の加藤の発言は、どのような意識を表明したものなのか。『支持率の推移に一喜一憂することなく』とは、国民の支持など、どうでもいいということである。自政党、自政権、自分さえよければ、国民の生活がどうなろうと、気にしないということである。したがって、加藤(ならびに菅)は、言葉遣いを間違えたのではなく、政治家として、勘違いをしているだけの話であり、記事の書き手も又、勘違いをしているだけの話である。

〔04〕(2021.08.04) ~芭蕉の恋~

Cf.「運命の出会い、そして突然の死別……ドラマのような恋の相手は男性!?
俳聖・松尾芭蕉
松尾芭蕉の肖像画(葛飾北斎 画)
葛飾北斎による松尾芭蕉。
松尾芭蕉といえば、言わずと知れた“俳句マスター”であり、「俳聖」としてその名は世界的にも知られています。
「古池や 蛙飛び込む 水の音」
「閑(しずけ)さや 岩にしみいる 蝉の声」
「夏草や 兵どもが 夢の跡」
などなど、誰もが知る名句は数知れず。
五・七・五のわずか17文字のなかに情景と心情をギュッと凝縮し、類まれな言語センスでそれを表現しました。「わび・さび」を特徴とする芭蕉の句風は「蕉風」と呼ばれ、俳句の世界に革命を起こし大勢の弟子たちにより広まりました。
「旅に病んで 夢は 枯野を かけ廻る」
これは辞世の句といわれるものですが、この句の通り、芭蕉の人生は旅とともにあり、旅のなかインスピレーションを得て多くの名句を残しました。
俳句の道に生きた芭蕉は、内縁の妻こそいましたが生涯独身でした。有名な句や肖像画などを見てもあまり色恋に縁がある感じにも思えませんよね。 『奥の細道行脚の図』 (『奥の細道行脚の図』)芭蕉というとこんなイメージ
ところが、芭蕉が特別かつ強烈な想いを寄せた人物がいました。
その名は坪井杜国(とこく)。芭蕉より13歳年下の男性です。
当時、男色(今でいう同性愛)はタブー視されていないどころか、命がけの“ストイックな愛の形”として武士を中心に盛んにおこなわれていました.
さて、芭蕉が杜国と運命の出会いを果たしたのは、1684年(貞享元年)の冬のこと。『野ざらし紀行』の旅の途中でした。芭蕉が名古屋で開いた句会に杜国が参加していたのです。
杜国は裕福な米商人で、風雅を好む青年。一説にかなりのイケメンだったとも。俳句のセンスにも恵まれていたようで、芭蕉はすっかり杜国を気に入ってしまい弟子にします。
翌年、江戸へ戻る旅の途中にも芭蕉は杜国と再び会い、別れ際にはこんな句を杜国に贈りました。 「白げしに はねもぐ蝶の 形見哉(かな)」
杜国を白げしの花に、自分を蝶にたとえることで、17文字にこれもでもかと込めた別れの切なさには胸を打たれるものの、40歳の男が27歳の青年にプレゼントする俳句とは思えない。
ただ、芭蕉を敬愛する杜国にすると、こんな情熱的な句を贈られたら感激したのではないでしょうか。
その後も芭蕉は旅三昧、俳句三昧の日々を過ごすわけですが、あの切ない別れから3年後、芭蕉と杜国は再会を果たします。
この時、芭蕉は『笈の小文(おいのこぶみ)』の旅にあり、江戸から鳴海を経て伊賀へ向かっていました。が、鳴海から“わざわざ”100㎞(25里)もの長距離を逆戻りして渥美半島の先っちょの保美(ほび)村に足を運びました。
それはなぜか? そう、杜国に会うためです。
ちなみに杜国がなんでこんなところにいたかというと、詐欺商売を行ったという罪で追放刑に処せられ、同地にて蟄居生活を余儀なくされていたからです。
坪井杜国が隠れ住んでいた保美村の家 杜国が隠れ住んでいた保美村の家。描いたのは芭蕉の弟子・越人で、芭蕉が賛を寄せている
愛しい弟子に再会した芭蕉は、胸の内にあふれる喜びを句にします。 「夢よりも 現(うつつ)の鷹ぞ 頼母(たのも)しき」
杜国を想うあまり夢にまで見ていたんですね。
その後、芭蕉は杜国と伊勢で落ち合い、一緒に旅を続けます。旅の出発にあたり、杜国はこんな提案を芭蕉にします。
「旅の間は“万菊丸”と呼んでください!」
仮にも追放刑で蟄居中ですから変名を使ったのかもしれませんが、“万菊丸”っていかにも男色相手のような妖しさがプンプン漂っています。
これに対し芭蕉は
「幼名みたいで非常にいいんじゃない!」
とまんざらでもなかった模様。
しかも、出発の戯れにと笠の内側に2人で句を落書きしたりと、それはもうキャッキャウフフなはしゃぎっぷり。うん、もう、好きにやるといいと思う。
旅の途中でも芭蕉は 「寒けれど 二人で寝る夜ぞ 頼母しき」
なんて、熱っぽい句を詠んでいます。“俳聖”のイメージからは想像できない乙女っぷり。
オモシロいのがこの絵。
万菊丸いびきの図(松尾芭蕉)
これは芭蕉が描いた『万菊丸いびきの図』。
万菊丸こと杜国はイケメンながらいびきがかなりうるさかったようで、芭蕉が「あなたのいびきはこんなにうるさいんですよ」とこんなものを描いたそう。
嫌いな男の大いびきなら殺意が沸きそうですが、愛しい男の大いびきだからこんなユーモラスな作品も生み出せます。
仲睦まじく100日もの長旅を楽しんだ2人は、旅のゴールである京で別れます。きっと再会を約束したことでしょうが、芭蕉が杜国に再び会うことはありませんでした。
蜜月旅行から2年後の正月。
芭蕉は杜国から長らく連絡がないことに焦れて「連絡がないけど元気? 病気とかしてない?」という手紙を送ります。虫の知らせ、というやつかもしれません。芭蕉の不安は的中、その年の3月に杜国は世を去りました。
杜国亡き後も芭蕉の想いは変わらなかったようで、晩年のひと時を過ごした京嵯峨の落柿舎で杜国の夢を見た芭蕉は、自分の泣き声で目を覚まします。
杜国が世を去ってすでに1年以上が経つのにこの情愛はただならぬものがあります。芭蕉と杜国に男色関係はなかった、ともいわれますが、いやいや尋常の師弟関係ではこれほどの感情は生まれません(確信)。
杜国の死から5年後、芭蕉も世を去りました。
誰もが名前を知る有名文化人たちにもこんな一面があったのかと思うと、親しみがわきますね。」

〔05〕(2021.08.31) ~Th.ネーゲル再考~

コウモリであるとはどのようなことか」で、ネーゲルは、コウモリでない人間は、「コウモリであるとはどのようなことか」理解することは、不可能であると述べ、意識の相互理解が困難であることを、説いている。しかしこれは、半面の真理である。意識には、広がりと質があり、人間のコウモリに対する理解と、コウモリの人間に対する理解を比較してみれば、この点は、明らかである。対・意識存在に限らず、例えば、宇宙に関して、コウモリと人間と、どちらが理解しているか、考えてみても良い。古の哲学者達が、神を措定したのは、宇宙を超越する意識を目指したからかもしれない。宇宙も宇宙のなかからでは、完全に理解できず、そとからの視点を求めての事であったと思われる。人間を理解する際も、おそらく、人間を超えた意識存在が必要であることも、意識していたようである。神や超人や宇宙人は、そのための象徴的な視点であったとも考えられる。このような発想に至ったのも、人間が、おそらく、コウモリと違い、意識を意識できる、実存的存在に進化したからであると言えよう。

〔06〕(2021.10.07) ~自由への道~

現代、監視資本主義、監視社会に生きる人々は、自由を奪われており、見えない、監獄で過ごしている。自由を取り戻すには、どうしたらよいのか。実際に、監獄に捕らわれ、尚且つ自由であった先哲の知恵に求める他ない。考える事によって、自由への道が開かれることに気付く事である。愛することが理解する事であるのと同様、考える事、知恵を持つことは、自由になる事でもある。

〔07〕(2021.10.20) ~意識のレベル・アップ~

人は、何故、山に登るのか。山の頂に立った時、目にする景色への期待も、誘因の一つかもしれない。目の前の課題をより普遍的なものに捉え直し、マスターすることで、意識は、向上し、新たな世界観、人生観を得ることができる。楽器をマスターする際、ただ、曲が弾ければ良いと考えて、取り組むのではなく、素晴らしい音色を楽器から引き出すことを考えて、取り組むことで、楽器の演奏のみならず、意識の向上にも役立つことであろう。人生の課題にどう取り組むかで、意識のあり様が変わるのである。人生は、知恵と愛を求めての冒険である所以である。精神世界の「山」には、ソクラテス、イエス、ブッダ、ミケランジェロ、シェイクスピア、モーツァルト、等、様々なものがあるが、これ等の「山」に挑むに際し、一つだけ、注意することがある。遭難しない事である。

〔08〕(2022.01.23) ~年頭所感・2031年まで~

子の刻に 未だ目覚めて 去年今年    (2020年)
老子訓 背負いて歩む 去年今年     (2021年)
永らえて 托す宛てなき 去年今年    (2022年)
耳漱ぎ 目を澄まし居り 去年今年    (2023年)
求めしは 夢幻か 降り竜        (2024年)
何故か 蛇蝎の如く 生きる者      (2025年)
翼なき 人馬が競う 去年今年      (2026年)
去年今年 羊の歌を 懐かしむ      (2027年)
出で来るか 人工淘汰で 白目猿     (2028年)
雌鶏は 如何なる時を 告げて鳴く    (2029年)
去年今年 オンリー・ワンが 花盛り   (2030年)
猪の 如く進みて 今 何処       (2031年)

〔09〕(2022.04.03) ~近況所感~

ロシアのウクライナ侵攻を巡る国際情勢の険悪化、遺産相続問題で経験した国内に於ける弁護士、裁判官、に代表される法曹界のレベル低下、を目の当たりにし、経済中心主義に汚染され、モラルが地に落ちた、人類の意識状況を再認識し、地球人の行く末への危機観を深くしている。
最近、四大文明の他に、これ等と同時期に、アンデス文明が存在したことが、判明した。「五大文明」へと古代史が改められることになる。さらに、地上の河とは別に、南米アマゾンの森林地帯を水源とする、天空の河が地球上に存在することも確認された。アンデス文明は、他の四大文明と異なり、天空の河の辺で生まれたようである。マチュピチュに代表されるインカ文明が、南米の、アマゾンの低地ではなく、山間部で栄えた謎も解けたことになる。
「天空の 河の辺(ほとり)に 在るという 古代アンデスの 遺跡訪いたし」
「愛ずべきは 仏像(ほとけ)に宿る 意(おも)いこそ」
「マリウポリで 骸(むくろ)となりし 人ぞ我」